シンポジウム
アジア・ヒューマン・コミュニティを求めて
――人間の安全保障のネットワーク構築に向けて――
2月25日 セッション1
多賀:

 おはようございます。大変お待たせいたしました。ただ今から国際シンポジウムを開催致します。昨日は実は非公開で、メンバーでいろいろ活発な討議を行いました。そのときに、一つわかったことは、アジア人の共通的特性として時間にパンクしちゃうじゃないかと大変よくわかりまして、本日も皆さんお待たせして申し訳ございません、ただ今から開催致します。最初に、この会議のコーディネータ、オーブバイザーである天児慧から開会のご挨拶およびこのシンポジウムの意義についてちょっとお話させていただきます。どうぞ。

天児:

 天児でございます。おはようございます。日曜日の早い時間からお集まりいただいて、大変恐縮いたします。恐らく先ほどの多賀さんのいうように、パンクしちゃうじゃなくて、徐々に増えていくと思いますが、最初に一番大事なことをお話させていただきますが、今ここに居られた方々は、非常に幸運であるというふうに私は思います。力強くこのアジア・ヒューマン・コミュニティーの意義についてご説明させていただきたいと思います。皆さんご存知のように、或いは皆さんご関心のように、ここ数年来、アジアにおける共同体構築の議論が積極的になされています。私も幾つかの比較的に重要な協議会とか委員会のメンバーとしていろいろ関わっておりましたが、しかし、その中で、私自身が感じたことですが、アジア或いは東アジアにおいて、この共同体を構築するということは、どういうことを目指すのか、或いはどういうアプローチでそれをやったらいいのかかということについて、いろいろな議論のなかですっきりしていないと思います。もちろん多くの人はすっきりしていますが、すっきりしている仕方ということに対して、私はすっきりしていないということです。それはどういうことかといいますと、基本的にアジアは多様である、そしてその多様性は様々の意味の多様性です。経済のレベルとか、体制の問題とか、或いは信仰の問題とか、民族の問題です。そういう多様性の中で、結局経済を中心にして、しかも経済のファンクショナルな、つまり機能主義的なアプローチで連携を強め、それを積み重ねるしか、その共同体の道が開けてこないだろうかということが、多くの一つの合意です。私はそれに対して、常に疑問をもっているのですが、例えば、日本と中国との関係、経済のこの非常に緊密的な繋がりが、非常に進んできます。しかし、お互いの信頼関係というのは、なかなかこれは進まない。つまり、経済が緊密になればなるほど、なっても、なっても、お互いの信頼関係が形成されない。日韓の間もそうです。或いは中国と台湾との関係はある意味でそう言えるだろうと思います。つまり、そのときに、共同体というのはいったい何なのかと、つまり協力の制度というもの、システムというものを、これを作るだけでこれは共同体なのかと、私はそうではないと思います。やはり、そこには相互の価値観を共有する、或いは信頼関係を作る、或いはその元に、お互いに共同して、何かを作ろうとするという意志を持つ、こういうものがベースになって、共同体というものが成り立つだろうというふうに思います。そのときに、私は今皆さんのご存知のように、グローバリゼーションという大きな波が世界で進んでおり、そして、当然アジアにおいても、その波を受けていますが、このグローバリゼーションの中で、われわれはどういうふうにこれを受け取りながら、同時にその新しい私たちの共有している繋がりをつくっていくのか、このことが私は課題だろうと思います。しかし、グローバリゼーションそれ自体は、実は新しい矛盾をどんどん作り出しているという現実があるわけです。その意味でグローバリゼーションをそのまま放置し、そして、この経済のファンクショナリズムを積み重ねることを通じて、問題を解決するのはとても思われない。では、何ができるのか。私はそのファンクショナルなアプローチに対して、ボットム・アップ・アプローチというものをこれから考えていかなければいけないというふうに思うようになったわけです。もちろんハードという意味の安全保障というものは、これは必ずしもボットム・アップではない、むしろそうではなくて、トップ・ダウンというか、或いは、国益を中心とした非常に戦略的な協力、或いは協力の制度化というふうにいえると思います。しかし、われわれの一人ひとりの考えている大切な部分はまさにその人間の、ここの人々の、その人間としての権利とか、或いはその生活というものが脅かされている状態、環境問題、或いは貧困の問題、或いは人権の問題、様々な問題があるわけですが、そういうことをどういうふうに解決するため認識をするか、さらにそれを踏まえて、どうやって協力しながら、問題を解決していく仕組みを考えていくかという問題があるだろうと思います。こういうもの、いわば経済の連携というもの、或いはハードな安全保障というものと、平行しながら進めていくことによって、アジアにおける共同体の厚みというもの、そういうようなものが形成されるのではないかというふうに私は考えております。このことをやはり積極的に、意識的に組織化していくということが非常に大事なことであるというふうに私は今思っております。今日一日中、様々な角度からこの議論をしていただく、そして参加していただく外国から来ていただくゲストの方々は基本的には、韓国・それから中国、それから香港、マレーシア、インドネシア、そしてタイランド、そして日本のゲスト、アジアの多くのこの問題に賛同してくださった方々が来ていただきました。そして、その人々は後で各セッションに紹介していただきますが、それぞれの国々のまさにそのリーディング・アクティブティ、或いはリーディング・スカーラーです。非常に影響力のある方々ばかりです。そういった方々と一緒にになってこの問題を真剣に討議する、議論するという、この場は非常に貴重な場だろうというふうに私は思います。恐らく参加者の方々も、これは私を含めていますけれども、アジアの具体的な事情、或いはアジアにおける様々の問題、これがなぜ残っているのかということを理解する論理、そういったものを必ず市も十分理解していないかもしれません。しかし、今日私たちは、そのことについてしっかり勉強できるだろうということは一つです。しかし、お互いに勉強するだけではなくて、勉強した跡に、われわれはこれから何をしたらいいのか、ということについて皆で一緒に考える場にしたいと思います。最後に、私はこのアジア・ヒューマン・コミュニティー、この言葉を作りました。私はAHCと略称します。このAHCのつくり、そして何を目指していくか、最後に五点を申し上げて、私の挨拶を開きたいと思いますが、一つは人間の安全保障に関心を持つアジアの各国の市民、それから知識人、政府など、相互補完的な関係にしていくネットワークの構築を目指す、こういうことであります。私は市民だけの動きにすべきではない、知識人だけの動きにすべきではない、或いは政府だけの動きにすべきだけではない、やはり双方の良いところを連携することに拘りたいというふうに思います。第二に、その人間の安全保障をめぐる知識人が、アジアの知識人が自由に意見交換できるフォーラムにしていきたい。そして第三に、それらの具体的問題をアジア人が中心になって解決するシステムを作る推進力になっていきたい。そして、同時に、協力して独自に問題解決を図れる、そういう組織にしていきたいというふうに思います。私はアジア人がアジアの問題をアジア人で解決するという基本をわれわれは確立しなければならない。もちろんそれはその以外の人々を排除してはいけません。しかし、ヨーロッパにおいて、ヨーロッパ人によるヨーロッパのことを解決し、アメリカにおいてアメリカ人がアメリカのことを解決するように、アジアのことはアジア人により解決する仕組みは今無いというこの現実をやはりわれわれは深刻に受け止めなければならない。その意味で、他の地域の人々と協力しながらも、われわれ自身のコア、そういう組織を作っていくということは第三点として言っていきたいと思います。そして第四点としましては、一昨年から開催された東アジアサミットがあります。これは政府を中心にできているアジアの非常に重要なフォーラムになってきます。私はこの中に、やはりもっと市民の声、或いは民衆の声を反映する必要があるだろうと思います。そして、われわれはそれを反映させるそういう組織になっていくか、これは組織といってもあまりハードな意味を持っていないですけれども、やはりネットワークを作っていくということをしながら、アジアにおけるさまざまな問題に対して、それを政策化にする、この役割を担いたいというふうに思います。そしてできれば、このAHCを中心にしながら、まさにこのヒューマン・コミュニティーをベースにした共同体の人材育成ということを将来的に展望しようと、AHCには多くの夢があります。しかし、この夢を現すために、われわれは発言を続けたい、行動を続けたいというふうに思います。皆さんの中に、ぜひこういった考えの中に何か自分がぜひ役に立ちたいという方がおられると、ぜひとも私どもと一緒にこういうような行動に支えて行きたいというふうに思います。大変長くなってしまいましたが、一応私の開会の挨拶・趣旨説明をさせていただきました。どうもありがとうございました。

多賀:

 はい。ありがとうございました。それで早速この第一セッションのパネルディスカッション「アジアにおける人間の安全への脅威をどう捉えるか、なぜ脅威は増大するのか」というセッションに入りたいと思います。司会は私ですけれども、そのプリントをお渡します。ちょっと暑がりやの問題で、上着を脱いで、失礼致します。昨日も先ほどお話致しましたように、昨日は全員でいわばブレイン・ストミーングのようなことを致しました。それは今日お配りいたしました。これは今日お渡しましたこのプリントの裏一面のペーパーの中に2番のところにどういうことが出たかということをまとめてございます。クローズでやりましたので、名前は伏せてございますけれども、この中におよそこういうようなことが私自身の頭に残った、或いは学んだという形で示してございます。ご参考いただけると存じます。それで、この第一部のパネルディスカッション1の目的は、そこにあるように、いわばプログラム・シェアリングという、或いはプログラム・エクスプロジャーという、アジアで今いったい何が起きているかという、そういうことをそれぞれのご専門の立場からここで報告していただくという形を心から考えております。それでは報告者の方々、ご紹介するまでもなく、皆さんのお手元の参加者プロフィールというところに出ております。これをご覧いただければ、錚々たるメンバーだとことがお分かりいただけるかと思います。私たちに向かって左に温鉄軍先生、人民大学農村発展学院の院長で、長く農村等のリサーチに携わっていらっしゃいます。それからお隣の胡偉星先生、香港大学の先生でいらっしゃいます。国際政治学等々の専門で、幅広く中国の外交関係などをご研究されていらっしゃいます。それから、その隣の梁基雄先生、韓国の翰林大学からしらっしゃいました。行政科の教授であります。余計なことですけれども、「冬のソナタ」は確か翰林大学です。翰林というのは意味がありまして、これは朝鮮もそうですけれども、中国代々の王朝の皇帝が翰林塔というのを立てて、ところに学者立ちを集めて、何か問題が起こると、下問する、それにただちに学者たちが答えるという、そこから恐らく捉えた名前だというふうに私は理解しております。それから、その隣がプジオノ先生です。インドネシアからおいでいただきました。これまでは実は日本で国連人道問題調査事務所の神戸代表をなさっていまして、今はインドネシア共和国議会及びUNDPの災害リスク削減政策立法顧問と言う立場にいらっしゃいます。災害のご専門でいらっしゃいます。それから一番端が勝間靖先生、本学のアジア太平洋研究科の助教授でいらっしゃいます。長い間、ユニセフでお仕事されていて、強力スタッフとして早稲田大学にお迎えされたとろろでございます。以上のメンバーです。私は多賀と申します。その以上のメンバーで、これから議論をさせていただきます。皆さんには申し上げたのですけれども、15分間と時間をアジア人らしくキチンと守っていただきたいということを、最初に申し上げておきます。それでは、順番ですけれども、まず胡偉星先生から少しオーバー・ビュー的なお話をしていただいて、徐々に細かいイッシューに入っていくという形を取らせていただきます。どうぞ。それではお願いします。胡先生。

胡偉星:

 ご紹介、ありがとうございます。15分ということですので、さっそく本題に入りたいと思います。最初に天児先生のおっしゃったことを、冒頭の挨拶、アジア・ヒューマン・コミュニティー、AHC、実際は今回始めてAHCという略語をきかせていただきましたけれども、これについてコメントをしたいと思います。天児先生はAHCというのは、その機能的なものと、それからボットム・アップ・アプローチを通して、国際協力をこの地域で推進していく必要があるとおっしゃったわけです。私のトピックといたしましては、このAHCの二つの特徴に関連するものとなります。特にAHCが現在の地域、コミュニティー・ビュリディングというトレンドにどう位置づけられるのか、即ち、AHCはアジア・コミュニティー構築という過程にどういう働きを果たすかという話をしたいと思います。ご存知のように、アジアでこのコミュニティー・共同体構築というのが進んでおります。そしてレースが加速化しております。AHCはどういう視点で捉えられるか、またどういう役割を果たせるのかということを考えるに当たって、三つ申し上げたいと思います。皆さんのご参考になるのではないかと思います。まず、AHCということ、これは人と人の交流・インターアクションを推進しようというもので、これは新しい次元ではないかと思います。アジアの共同体の構築の中で。私はもともと政治科学の専門でありまして、昨年もアジア地域主義、アジア共同体構築ということで本を実は書き終えたところなのですけれども、特に近年、この地域での共同体構築の根底にあるのは、いわゆる貿易の自由化であるということが分かります。冷戦後を見てみますと、この地域の大きな原動力になっているのが貿易の自由化であります。そして、それは特にAPECという枠組みの中で進められたというのが、冷戦後の二つの大きな原動力になっております。しかしながら、アジア金融危機を経てちょっと事情が変わってきます。この通貨危機の後、新しいパターンがうまれたのです。どういうパターンといいますと、基本的にAPECの枠組みがだんだんこれだけでは十分ではない、適切ではないということで、少しこれからフォーカスをはずれたということになります。機能的な課題といたしまして、この地域の国々、共通の利益に対応するために、どういった機能的な取り組みができるのか、ほとんどが例えば病気の蔓延ですとか、疾病の蔓延ですとか、或いは人身売買ですとか、環境問題、或いはエネルギー問題といった従来の安全保障とは関係ない問題になっているわけであります。ということで、この新しいパターンというのは、特に地域のガバナンスということの協力だというふうに思います。これはこの地域の共同体構築の新たな原動力になっていると。そうなりますと、政府のフォーカスの機能的な問題に加えて、個々の問題にもっと取り組むことになります。AHCといたしましては、新しいレアーをこのコミュニティー・ビュリディングに対して付加するものであるということができるでしょう。AHCはその意味で、地域共同体構築の付加価値を生むのではないかというのは私の第一点目。それから第二点目といたしまして、AHCは活動ベースの動きであるということであります。言ってみれば、国際関係における社会活動ということができるかもしれません。今回の関連性の中にも、こういったいわゆる活動ということを本当に積極的に活動していらっしゃる方がいらっしゃいます。このあと、AHCはいわゆるこの地域の人間の福利・幸せと言うことで、どういった役割を果たすのかということで、コメントがあると思います。ちょっと申し上げたいのは、こういった実際の活動ベースの運動がこの地域で必要であるということです。なぜかといえば、アジア、特に北東アジアでは、従来からの安全保障という考え方ではこれは国が提供するものである。国家が提供するのが安全保障であり、これを受ける側は社会の中の個人であるという考え方であります。しかしながら、活動中心型、或いは人中心の動きになりますと、この従来からの安全保障の概念というのは、変えざるをえないということになります。というのは、人々がエンパワーされるということになる、即ち、それぞれが安全保障を求めるというエンパワーされるということになります。即ち受け手ではなくて、提供するのが個人で、役割は変わるわけです。その意味で、グローバル化の中で、人間の安全保障はある意味、今損なわれていることができます。即ち、外からの脅威を晒されるわけではなく、内なる脅威、内なる色々な要素、即ち国々の悪しき統治、ガバナンスによって内なる脅威に晒されていることができます。そのために、人をエンパワーして、そして、それぞれがキチンと解決枠を求めていくということが必要になっているわけです。この地域、今もう変わっています。そして、その証拠になるかというものもあります。例えば、2005年アセアンのバリサミットでいわゆるゴンフォツーという宣言を出されております。そこでは何を訴えたかというと、東南アジアでは三つのコミュニティーを作るということ、経済共同体・安全保障の共同体・そして社会文化的な共同体という三つのコミュニティー・共同体を作るということであります。この社会文化的な共同体というのは、人それぞれが安全保障を求めていくということを求める、そのための共同体ということになります。その意味でAHCは正に前進の一歩ということができると思います。地域協力・地域主義というもの、これを構築するための大切な一歩であると思います。もう一つ指摘したいと思います。これは国際関係という視点に関するものです。つまり、国境を越えたヒューマン・コミュニティーというものに関するものであります。共同体を作るためには、経済的な統合だけでは十分ではあります。天児先生のおっしゃった通りだと思います。経済統合というのは十分ではない、人々をもっと力付けるのは、これでは十分ではない。というのは、社会統合が必要であるということになっております。つまり、人と人の間、社会と社会の間のやり取り・交流を深める必要があります。その意味で、市民社会を作らなければならない。市民社会という考え方を進めなければなりませんし、これは各国でも必要になります。ただ、国によって、ペースが違います。パターンも違います。ではありますが、これは国を超えた国際的な現象とすることができます。私も色々研究しております。例えば、トランス・ナショナル・アドボカシーというものがあります。ヨーロッパ、或いは北米で今一般的になっている概念です。或いはインターナショナル・パプリック・スペースという考え方もあります。これは国を超えた人・NGO・市民社会が共通の国際社会の場、或いは世論というものを構築してそれによって政府に対して必要な対応を求めていくというものであります。これは非常に興味深い現象だと思います。AHCは本当に動き出せば、いわゆる悪循環ではなくて、良循環のこの地域のヒューマン・コミュニティーが出来るふうに思います。

 もう一つのテーマに触れたいと思います。中国における人間の安全保障ということです。あと4分しか残っておりませんので、本当に手短に申し上げたいと思います。中国における人間安全保障という概念、これはまだまだ揺籃期といいますか、キチンと定着した概念ではありません。中国政府の公的なポキュポリティのなかでは人間の安全保障という言葉が出てきません。公式な文書、或いは政府高官など指導者のスピーチを見ましても、この言葉が出てきません。そうではなくて、非伝統的・非従来型安全保障という言葉を仮につかっています。何故かといいますと、社会・政府ともになぜこの人間の安全保障を使っていないのか、どこが問題なのかということを考えますと、私は個人的に思いますに、単純にいいますと、人間安全保障を中国語に訳すと、「人的安全」ということで、全然中国語として意味が成さないです。というのも、どうにでも解釈できる、例えば、横断歩道を渡るとき、個人の安全とにもなるし、或いは家族が安全である、或いは家族内暴力とか、色々と意味がどうにも解釈できるということで、中国語でいった時に、これは意味が成さないと、ということで、中国語で人間の安全保障といっても、これは言葉としてピンとこないということで、ほかの社会は違うかもしれませんが、中国では少なくともこれはどうも通用しない、定着しそうのない言葉だということになります。もう一つの理由は、人間の安全保障というのは、人権に近すぎるという言葉であると、人権というのが、中国で非常にデリケートな言葉でありまして、また混乱を想像しかねない言葉であるということです。ですから、もっと基本的な理由をいいましては、人間の安全保障といったときに、安全保障というコンセプト、これを提供するのがいったいだれなのか、これを受け取るのが誰なのか、ということを考えざるを得ないということでございます。従来の中国の考え方で言いますと、安全保障を提供するのは国家であり、受け手は人であるということなります。それに対して、人間の安全保障という言葉を使いますと、ほかの世界で使われるような意味で使うことになりますと、関係が逆になることができます。つまり、安全保障を提供するのは個人そのものということになります。即ち、人のエンパワメントをすることによって、個人個人は自分で安全保障を求めていくことになる。これは従来の中国の考え方と相容れないものであります。そこで、現在の中国の状況の中では、非従来型・非伝統的安全保障という言葉のほうが受け入られている。そういう言い方を言いますと、安全保障という言葉の範囲をもっと拡大するということになるわけです。今7つの分野、UNDP94年の報告書の中で定義されていますが、私は勉強した結果分かりますのは、ほとんど全て政治安全保障以外に関しては、中国政府もほかの分野に関しては、その安全保障を実施する、或いはこれを推進するための方策を取っています。食糧安全保障・環境安全保障・経済安全保障・コミュニティー安全保障などなどといったその政治的安全保障以外の分野に関しては、手が打たれ始めています。人間の安全保障という言葉は未だ正式に使われて降りませんけれども、胡錦濤それから温家宝の政権のなかでは今人間の福利ということに関して対応を取ろうと真剣になっています。今アジェンダーのなかで、これはプリアオリティが与えられるようになっていることで、これは大変歓迎すべきだというふうに思います。私の結語になっていますが、AHCの概念をさらに推進するためにはまだまだやらなければならないことがどこの国にも残っていると思います。特にこと地域では国によって定義が違う、或いは概念が、人間の安全保障を言いますとき違うと、共通的な基盤をどうやって、そしてまた共通の問題が何なのか、どうやって見つけるかという。それからもう一つはどうやって国際的な協力を推進するか、そのメカニズムをどうしていくかというのを考えなければならないということであります。これはほかのパネリストも色々問題提起するだろうと思います。以上です。ありがとうございました。

多賀:

 どうもありがとうございました。時間をきっちり守っていただきました。きちっと、ズバッと言ってくださったのですが、ヒューマン・セキュリティの問題がリージョナル・ガバナンスの問題であるという点をご指摘いただきました。それからセキュリティに対して、やはりプロバイダーとレシーバーというと、これが同一になるのがソーシャル、ソサエティであると、或いはAHCの考え方があると、それにしたがって、中国の現状を切り取っていただきました。中国ではそういうコンセプトをうまく通じないというお話でした。このAHCに対しては、コーメン・イッシュー、共通の課題というのは何かということを見つけることと、それから共同のためのメカニズムを如何に作るかということをただ今最初のコンクルーションとしてまとめていただきました。どうもありがとうございました。それでは、皆様からの質問は全員のご報告が終了してからお受けするということにいたしますので、どうかご質問のある方はどなたにというメモをお取り下されば幸いです。それでは、次は温鉄軍先生。昨日はいわばいわゆる様々なイズムということで表現されるものがあるのですけれども、今リベラリズム、ニュー・リベラリズムとか、そういう時代は冷戦とともに終了したのです。ですから、新しく様々な問題はポスト冷戦に合わせて再定義しなければならないということをおっしゃってくださいました。非常に理論的な話を、例えばステート・キャピタリズムとかということをやらなければならないということをおっしゃったのですけれども、本日は少し具体的な問題をお話いただこうと思います。それでは、温鉄軍先生。

温鉄軍:

 ありがとうございました。ご紹介ありがとうございました。ご招待、感謝いたします。色々な学問からの専門家の集まりがここにあるかと思います。私がここでお話をしますと、政治学・社会学・或いは文化関係の方が聞かれると不思議だと思われるかもしれませんが、しかし、色々なデータがありますし、経済的な目的、或いは関心といったものもあるかと思いますので、ご覧にいただくようでございます。ここで話す概念は、冷戦後のコンセプトでありまして、実用的な問題を取り上げております。私は21世紀におりまして、主たる話を言いますと、色々な資本が入ってまいりまして、資本市場のみならず、なんらかの形の具体的でない経済といいますか、無形の経済といったものも認められるかと思います。ですから、そういった無形の経済競争といったものもありますし、競争といったものを見た場合には、そこで都市化・工業化などにおいて見られるかと思います。中国は今のところ、こういった都市化、そして産業化・工業化があるわけでありますが、中国のような人口を抱えていますと、また歴史的な背景を見ますと、工業化かつ都市化は社会における問題で持って、その資本化などを考えなければいけないです。イデオロギー的な問題がよく起こりまして、むしろ実務な問題として捉えたいと思います。イデオロギー的な問題でありますが、これはメディアなどにおいて捉えられていると思います。ただし、単なる経済的な問題を考えますと、工業化を見ますと、その速度は、構造を更新する、新しくする、或いは色々な問題の解決にあたらなければならないということになります。ですから、中国におきましては、工業化のためには、それを余剰のひとから取得していかなければなりません。国内的な農業、或いは農民から、或いは村からと取り上げると、公民をつくることによりまして、人民公社をつくることによりまして、その古いやり方としては、社会主義であろうと、計画経済であろうと、そういったやり方を捉えていたわけです。それは重要でなく、重要なのは如何にして、その食糧、或いは工業化をかかるかということです。その他の途上国を見ますと、そこでは、国家の資本化、或いは工業化におきまして失敗しております。色々な媒体があったのですが、しかし、それが崩壊したという歴史があります。なぜならば、古い以前はイズムによって間違いを起こしたということです。ですから、もう既にイズムでなく、工業化、インダスティライゼーションというふうに考えていくということをしたいと思います。

 1960年代或いは70年大は資本の投資はゼロに近かった。しかし成長は7%、8%のGDPでありまして、これは工業化によるものでありまて、労働の集中をすることで資本の投資を工業化におきまして置き換えるということをしたわけです。中国だけこのような方法を取りました。だからこそ、中国の急速な成長にも繋がるわけです。この国家の工業化におきまして、しかしながら多くの問題が出てまいります。従って、この中国の例としまして、この体制におきます問題があるわけでありまして、そして集中体制ですか、中国式なライマリキメゼーション方法ということを取り上げることによって、国家資本化、国家資本主義或いは工業化を図ってきたということです。また、毛沢東主義でありますが、これは国家のインフラに関して労働力を投資して国家の産業化・工業化に当たったわけです。もう既に50年も経ちまして、この明確にこの50年周期でもって危機があるからこそ、でありまして、社会主義であるならば、ここで50年経った後何回かの周期的な危機を認めることができるわけです。ですから、これは共産主義によるか、社会主義によるかということではないわけです。新しいイズム的に考えることもできますが、これは農業産品、或いは工業製品の価格が低いということです。50年間のこの価格の変動を見ていただくことが出来るかと思います。これは土地所有です。工業化・都市化を促進しますと、土地を取り上げるということが取得することができます。従って、変移地域からの土地を取り上げるということにもなります。また移行ということも大変重要であります。ここからどこに行くかというその移行であります。東洋的な典型的なやり方として政府国家企業主義といいますか、政府主導型の企業主義といいますか、資本主義ということから、西洋自由主義市場へ行こうということになりますが、いわゆる社会におけるこの移行ということで、中国ではあるわけです。ということで、色々な基盤が中国に始まりますが、21世紀の中国の通性は明らかになります。何かといえば、競争・資本或いは財政資本に対する競争に参加するということです。通貨の問題があります。中国におきまして、昨年の新しい通貨問題が起こることによりまして、資本の問題を取り上げてきたわけです。また、国際的な資本市場におけるその競争へ入っていくということで、21世紀のその主たる競争というものは、資本化・キャピタリゼーションということです。どのような国であっても、工業化が終わると、ある種の正常な安定化したときがあります。これは本年度もありますが、あまり大きな変化のない正常な状況ということが言えるかと思います。それを背景として、最初にお話したかったことがありまして、第2次世界大戦後産業化を多くの途上国におきまして、標的としたわけであります。中国はこの時期を終えまして、第1期の集中体制という時期を過ぎまして、第2期に入っているということが言えるかと思います。労働を資本として労資源として人口の増大ということを鑑みて、現在の8億の労働人口を持ちまして、15・6年も経ちますと、9億以上の労働力を持つということとなるかと思います。ですから、中国の失業の問題でありますとかといったものを考える場合には、9億以上の労働人口を抱えた上でのどのような政治体制だろうとも問題を持つならば、そういったものが実質的な問題となるかと思います。世界は大きな資本、ドル或いはユーロによって指導的な立場を図られていると思います。また、日本或いは大韓民国でもそうかと思いますが、私どもとしては、商業製品を多量に作っておりまして、そしてアメリカに次ぐ生産高でありますが、或いは輸出などですが、しかし通貨としては、いわゆる紙の形ですか、コンピュータの中に入っているというような形になるかと思います。いずれにしろ、私どもは再投資をアメリカの財政的な金融センターに投資しなくてはなりません。アメリカはFDIとして直接投資を多額に必要としております。中国がその2番目にくるということになりましょうか。6億ですかといった次元になりますし、GDPもさらに高くなりまして、これがいわゆる国家としての新たな経済ニュー・エコノミを取り上げるということにも繋がってまいります。アメリカにおきましてのFDIは三分の一、世界の三分の一を吸収しております。また、アメリカにおきます資本市場、世界を見た場合には何十パーセントということを伺えることになりますので、アメリカは従って大変素晴らしい産業を享受することが出来ます。その他の国におきましては、更なる天然資源を招集するということ、或いは日本・中国のようにかなりの輸入された天然資源・天然ガスなどを導入することによって、物理的な製品を出し、そして紙といいますか、紙幣を手にするかということになると思います。政治的、経済的ないわゆるこういった制度が背景におりますので、それを変えることができません。しかし、ヨーロッパの場合には、EUが設立されまして、ドルでの搾取がないようにヨーロッパ内でのそういった市場を決めたゆえに、成長が早かったのであります。そして、競争に参加できます。アジアのヒューマン・セキュリティといった問題でありますが、これは資本化、或いは金融バブル的な競争によって大きな影響を受けますので、中国もしなくてはなりません。またこれを国家的にみる度に、アメリカはやるべきことをやらなければならない。資金を軍事施設にかなり投入しなければならないということであります。世界の軍事投資の48%は米国のものであります。批判はそこに出てまいります。アメリカは世界48%の軍事投資をアメリカがやっているわけであります。この図ですが、これも世界の経済の規制などについての状況を見ていただければと思います。対立でありますが、これは人間の安全保障を影響いたします。紛争は色々とありまして、これは都市化ですが、これはインドのボンベィの写真ですが、インドの友人たちに申し訳ないですが、このような写真をお示ししたくなかったのですが、しかし、都市化によりましてこのような形で持って、何百万人との人がスラムに住むということになっています。2003年・4年でしょうか、これはゲリラの運動などがありまして、農村地域の都市化が図られたことがございました。以上が写真で、これは最後ですが、大変決定的なチャレンジといいますと、色々な文化・人間から来るのでなく、資本家・キャプタリゼーションからくるということです。特に21世紀の競争によって、この競争は金融・資本によって起こるものであります。また、地域化・地域の統合といいますが、中国・日本・大韓民国、こういった古い産業国・工業国がなぜそうであるか、そして東南アジアの国々がこの地域化・リージョンナリゼーションの中心を担えなかったかというのが、金融中心がないからか、或いはなぜか東京か・香港かでないからか。答えはノーです。金融センターがなければ、或いはそういったものがなければ、地域の統合をすることが出来ません。アジアの人が地域統合をする形になれば、できなければアセアン+1、或いは+3という正しい考え方を追求するべきだと思います。またNAFTA、或いはグローバリゼーションということもありますが、しかしグローバリゼーション、或いはローカリゼーションといったものが公表されると同じ年に、EU・その他が発表されております。ですから、アジアの国々におきましても、そういった方向性を持って、今後進んでいくべきではないかと考えております。ありがとうございました。

多賀:

 ありがとうございます。もう既に中国の工業化がイズムというべきではありません。そして10年ごとに深刻な危機が起こります。そして今は市場経済に移行しているとおっしゃいました。次は梁基雄先生、宜しくお願いします。

梁基雄:

 今日のテーマは北朝鮮の人権問題が人間の安全保障という概念にどのように反映するかということを、まず概念的なことから、検討したいと思っております。人間の安全保障という概念について考えてみると、これはよく定義しないと、場合によっては、ちょっと曖昧な概念になりやすいという弱点があります。まず、今まで使ってきた例えば人間開発とか、ヒューマン・ディベルメントとか、人間のヒューマニズム、またはヒューマナイズという既に使っている概念と、今のヒューマン・セキュリティという概念をどのように差があるかという、どういう関係があるかということを検討する必要があると思うのですけれど、結論的に言いますとヒューマン・セキュリティというのは、ダウンロード概念、或いはブリッジの概念ではないかというのが私の考えです。三つの概念を連結するというか、その境界に立っている、そういう概念だと思いますけれども、例えば、ヒューマン・ディベロプメントからはフリーダム、自由という概念はディスコースを取って、ヒューマニストということからは,例えば人間らしく生きるためのまず優先順位というか、そういう何が一番必要なのかという、そういう話を持ってくるだろうし、ヒューマナイズという概念からは自己尊敬というのですか、セルフ・レスクペクト、こういう概念を持ってきていると思うのです。これはもっと具体的に役割という観点から見れば、ヒューマン・セキュリティというのはどのような概念が役割をするのかということを確認する必要があると思うのです。まずヒューマン・セキュリティという概念は、統合の、インテグレーションの機能をすると思います。このヒューマン・セキュリティという概念を使う前には、ばらばらに見える色々な現状がります。例えば第三世界の債務問題とか、社会葛藤とか、軍事危機、武力紛争、健康の問題、麻薬問題、ジェンダーの問題、こういうものが別々の問題のように思えますが、ヒューマン・セキュリティという概念を使うときは、これは統合されて一つの観点から繋がっているように見ることができるという、そういう役割、機能性があります。この概念には。二番目には、このヒューマン・セキュリティという概念には、セキュリティという単語が与える緊急性があります。ヒューマナイズという概念よりも、ヒューマン・セキュリティというのは、プライオティがもっと高い、高める機能性・役割があると思います。そして三番目は、これはやはり抽象的な対象ではなくて、個人・インディビジュルという対象を持っているから、もっと動機を与えるというか、モディベートする役割を持っていると思います。具体的に見えます。ヒューマン・セキュリティという話をするときは、ネーション・セキュリティといったときは誰のため、誰がやるセキュリティなのかというちょっと抽象的な概念がると思いますけど、ヒューマン・セキュリティという言葉を使えば、個人というのが人間というのが、イメージとして浮かんでくるという、こういうような機能性をもっています。それで、最後はこのヒューマン・セキュリティという概念は責任性、責任という実現可能性というのを高める機能があると。これは国連のレジームとか、法律システム、また法律的な合意、こういうことと結びつけて、具体的な成果・結果を生むような、そういう、それを促進する概念、そして使えると、それでヒューマン・セキュリティというのは私の観点から見ますと、曖昧な言葉ではなくて、もっと具体的な役割をする概念だというのが私の考えです。こういう概念的な検討から見ますと、北朝鮮の人権問題はまさに人間の安全保障のカテゴリに入る問題ではないかと思います。北朝鮮にどのような人権問題があるのかというのは、見方によって色々あると思うのです。これも評価も違ってくると思います。しかし、2004年アメリカの北朝鮮の人権報告の内容からちょっと引用してみますと、北朝鮮にはやはり社会領域に自由がない、それぞれ社会領域を分けて検討してみて自由がないということを話しています。それから階層による差別があると、北朝鮮は理論的には階層のない平等な社会であると言っていますけど、実際には、ほかのどのような社会よりも階層による差別がある。三番目は公開処刑というのがあると、こういうのは他の民主主義の国ではないことがあると。四番目には政治犯の刑務所ということがあること。五番目は食糧問題。六番目は脱北者特に女性と子供の拉致問題があると、人身売買、そして脱北したい人を強制送還したときの処罰、こういう色々な人権侵害の事例を言うか、そういう問題提起をしています。これを今の申し上げた人間の安全保障という概念から見ますと、別々に見えるものが既に人間の個人の安全保障の観点から見ますと、統合されて見えるような気がします。ですから、まず結論的に言いますと、北朝鮮の人権問題はもっとこういう幅広い人間の安全保障という概念から見る必要があるということを提案したいです。次はもっと具体的な話を少ししたいですけど、2003年にアメリカでは北朝鮮自由法という法律が議会に提案されました。それと2004年北朝鮮人権法というのが提案された。前回一致で採択されました。それと2005年民主主義増進法というのが通過されて、大体こういう法律体系を持って、アメリカは政策的に北朝鮮の人権問題に対処していると思っていますが、まず、アメリカはどのように北朝鮮の人権問題を見ているのかということをちょっと考えて見ますと、これはさっき報告したように、この法律の内容を検討してみれば大体分かると。厳しい見方をとっています。人権が本当に守られていないと、そういう判断をしています。そして、2003年の自由法、北朝鮮自由法と2004年の北朝鮮人権法の差というのをちょっと検討してみますと、北朝鮮の自由法というのは政治体制、ポリティカル・リージムこういったもののチェンジというのを含めています。それとまた大量破壊武器の廃棄、そういう政治的な内容を含んで、こういうものが全て解決されないと、最後に民主主義と人権の問題は解決できないという、そういう話をしています。これと比べて、2004年の北朝鮮人権法はもっと人権だけの問題に絞って法律を作っています。この間に北朝鮮からの反発度がアメリカ内部での批判というのが人権問題を政治的に利用していると、そういう批判を意識して、2004年の北朝鮮人権法には政治的な話はもっと除いて人権の話に絞っているという気がします。これに対して、もちろん北朝鮮は、これはアメリカの政治的な策略だというように反発しています。最後に検討したいテーマとして二つがありますけれども、中国はこのようなアメリカの北朝鮮人権法というか、北朝鮮人権問題に対するアメリカの政策と認識にどのように反応し、これからどのような対応を見つけるだろうかということを考える必要があると思います。今まで中国は北朝鮮人権問題に対しては、北朝鮮に友好的な、或いは不介入政策を取ってきました。でも、もっと国際的な圧力というこの人権問題に対する圧力が高まっていますので、全然反応を見せないというか、今までの通りに不介入政策を維持するというのは、難しくなるだろうというような展望もあります。そこで、考えられる中国の対応というのは何があるかというのをちょっと考えて見ますと、まず、今までの通りに、不介入の政策をとる。二番目はもっと北朝鮮に友好的に脱北者を強制送還すると。特に中国との関係で問題になっているのは、脱北者の問題です。ですから、これは強制送還するか、或いは難民地位を与えて、これ国際法で処理するかという、その中の間の選択もあります。難民地位も与えずに、強制送還もしないと、こういう政策のオプションもあるだろうし、また一方では国際法で処理し、一方では北朝鮮に送還するという二重性策。今もあるケースによっては、二重政策を取っていますけれども、こういう二重性策を続けると、こう色々なオプションがあると思います。確かなのは、これからこの問題に対して、中国も地域の協議のテーブルを作る必要があると、そういうように考えております。それで、国際機構とか、NGOとか、当事国が参加する、この問題を協議するテーブルが必要だと私は思っております。最後に韓国の対応について少し触れてみたいと思いますが、韓国は南北関係の特殊性と人権問題の普遍性のなかで、けっこう思い悩みを持っています。こういう北朝鮮問題で韓国の内部も二つの意見で別れて対立をしていると。これは北朝鮮人権問題を含めて、北朝鮮をどう見るかという、どのように対応していくかということをめぐって、二つの大きい対立があって、今の政権とそれからその前の政権は、北朝鮮に対して包容政策というか、エンゲージメント・ポリシーというのを取ってきました。こういう観点から見ると、アメリカと日本の保守勢力がいっている北朝鮮人権問題を正面から対応するというのは、この地域の安定と北朝鮮の核問題の解決、それと最後には究極的には、北朝鮮の人権問題を解決するにはあまり役に立たないと、そういう正面的なアプローチということです。ですから、まずは外交的な解決と人道主義的な支援というのを続けて、北朝鮮の経済をある程度支えながら、この人権問題を解決する必要があるという、段階的なアプローチというのを取ってきました。それで、そういう意味で、北朝鮮との関係が悪いときも食糧支援をすると、これをしないと、死ぬ人がたくさん出てくるという、それで不安定に繋がると、そういう観点から、これは別々として政治的な支援と人道的な支援というのは分けてするという立場を取ってきました。これに対して、保守勢力はこういう経済支援というのは、結局北朝鮮の体制を強化し、軍事的な脅威をもっと強くさせるという、これはブーメランになってまた戻ってくると、国際社会と人権問題と韓国とこの地域の安全保障に脅威になって戻ってくると。ですから、こういう段階別の包容政策、太陽政策というのは失敗したと、こういう批判があります。ですから、この中で韓国は人権問題に対してもっとはっきりした態度というのを取る選択に迫られていると、今までちょっと曖昧にやってきたと、東洋に危険するとか、国連での北朝鮮人権問題に対して、国内でのこういう問題はあまりイッシュー化させたくないという、こういう政府の難しい立場というのはあったのですけど、これからもっとはっきりした中の一貫性のある政策を取らざるを得ないだろうと思っています。これで、北朝鮮問題に対して人権問題の問題提起と、これはなぜ人間の安全保障という概念から見る必要があるのだろうかということを話すことで、報告を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございます。

多賀:

 ありがとうございました。ヒューマン・セキュリティという言葉自体はよく曖昧なものであるというふうに紹介されて、時として批判をその曖昧性に対して受けることがありますけれども、梁基雄先生のこの分析で、極めて具体的であるとむしろはっきりしているのではないかと、それを通して見ると、問題自体が串刺しになって連結して見えてくるのではないかと、その視点から今北朝鮮の人権問題、それと同時に韓国の中でその人権政策をめぐって二つに分かれている状況をお話いただきました。どうもありがとうございました。それでは、先を急がせていただきます。プジオノ、災害のことについてお願いいたします。

プジオノ:

 ご紹介、ありがとうございます。早稲田大学にこのような形で出席し、お話をさせていただきます。大変嬉しく思います。人権といったものが国を分断するということが前の発言から伺えたと思います。私も国連のほうでいろいろな人権の問題、或いはこのヒューマン・セキュリティの問題を考えてまいりました。1994年ですが、UNDPは報告書の中に示しております。ヒューマン・セキュリティの考え方を提示しております。人間の安全保障を人間の発展ということに繋げて提示しているわけです。なぜそうしたかということです。最初に既存の今までのセキュリティをいくつかの提案を持って補完するということです。最初に更なる生き方の側面を、つまり脅威から自由になるといったようなところを含めるということです。それからまた実際に人間のレベルまで問題を引き下げて考えるわけです。ですから、国家の安全保障を人間の安全保障といった次元で考えるということです。これを出せされるのはいろいろな取り決めであります。即ちいくつかのチョイス、選択肢が出てくるということばかりでなく、必要な環境を持つことによって、その選択肢を捉えることができるわけです。選択肢を与えながら、それを実施せしめることを許さないということはならないということではないと思います。それでは、われわれにとってどういう意味を持つのでしょうか。私の話の焦点、それから場所といったことを考えてみたいと思います。アジアという場所はどういったものでありましょうか。色々なところ、この地域における多様性もありますし、また回教・ムスリムもあれば、またカトリックも、それから仏教徒も多いし、また豊かな国、貧しい国といったものも世界で最も多いところではないかと思います。それからプラットホームでありますが、どういった話の場があるというと、アセアンであるか、アセアン+何であるかということです。それから焦点ですが、アジアにおきましては、その確固たる安全保障が存在いたしまして、それを新保守主義・新自由主義、或いはそういった観点の安全保障もありますし、また経済的にはその他のフォーラムといいますか、場があります。そういったような背景がありまして、私が提案いたしますのは、災害を最も戦略的に大きな人間の安全保障の提案だということです。災害ですが、それを取り上げてみたいと思います。災害といいますのは、何らかの脅威が国に与えるものでありまして、それが発展途上国であろうと、先進国であろうとも同様でありまして、アメリカでも、日本でも、インドネシアでも起こりうることです。災害は私どもは全面的に回避することができないものであります。災害の最悪の点をいいますと、貧困層に最も大きな影響を与えるということです。同じようなことで、阪神・淡路大震災が11年前にありましたが、それと同じ強度の地震がジャワの中心地に起こったわけでありますが、兵庫・神戸は7年で回復したと思います。10ヵ年立った後、その破壊の跡は見られません。ですが、インドネシアでは同じ災害は11年前にあっても、未だにその崩壊の跡が残ります。それからまた、80%の災害がアジアにありますと、命を多くとる、世界全体の中でもわからない命が取り上げられます。それからまた一方におきまして、危機でありますが、二つの考え方がそこにあります。一つは脅威・危険・危機ということです。しかし、災害というのは同時に中国語でもありますが、機会という意味もあります。オポチュニティです。災害が提供する機会というのは、比類のないものでありまして、人権が先ほどの国家の分断を来たしますが、災害におきましては、国家が手を繋ぐ、そしてその時どのように政治・経済的な豊かさがあろうとも、或いはどこの経済圏、どのイズムであろうとも手を繋ぐということがあるわけです。また災害は比類ない開発をも来たすものであります。災害がありますと、地域・国家は変化に準備を致します。これが正常な状態と比較してかなりこういった傾向があるわけでありまして、都市などにおきましても、こういったことがあると、資産社会経済的な面の再配分とことにも繋がります。また、全体的な・政治的な観点も変わるということになります。災害ですが、これはまた共に防衛するという面を促進致します。つまり、敵に対して防衛という考え方に加えての側面です。また申し上げたい側面は、如何に災害管理が人間の安全保障と繋がるかということです。災害ということを取り上げますと、特に国際的な意味におきましてまず理解して、あらゆる人間は基本的な権利として生きるという権利があるわけです。生きるばかりではなく、尊厳を持っている命ということです。災害がありますと、この尊厳を持つということは、簡単に災害でもって無くされてしまうわけです。その結果、基本的な理解として、第二の点としては、そのほかの人たちが義務を持ってそのような権利が持続されるようにしなければならないということです。ということは、人間が生き残るということになります。またそこでの三つの考え方ですが、一つは災害のリスクです。その側面は脅威、それから脆弱性、人がそういった災害の影響を受けるということ、それからまた人権ということですが、つまり先ほど申し上げたように、人権を持って生存するということです。それからその次はその主権の問題です。主権とは、国家が専属的な権利を領土かつその国の人に対して持つということです。それからまた国の責任ですが、国民の福祉、或いは生存を確保しなければなりませんから、そういった意味において国家は義務を持ってその他に対して何時がもし可能でなければ、或いは基本な人権を災害地に保持することができないならば、外国政府に対して手を借りるというところに繋がります。そういうことになりますと、人間の安全保障というのは、国家の集団的な懸念事項だということになります。問題ということになります。それでは、インドネシアにおきまして、災害管理の政策枠組みを申し上げたいと思います。インドネシアは最も安定的な国の一つでありまして、経済的におきまして過去10年間そういったことが言えるだろうと思います。しかし、長期的な金融危機に直面し、スハルト政権がなくなり、同時に災害に面したわけでありまして、世界で最も災害に直面する国でもあるわけです。ここでの前提でありますが、有効な災害管理が人間の安全保障の問題を有効に取り扱うということですが、それに関しまして、まずパラダイム・シフトといったものがあります。最初にインドネシアはその緊急災害等に関して災害のリスクを低減するということを考えなければならないわけですが、インドネシアは以前そういった問題があると、大変忙しくなりまして、投資などもしない。ですが、現在インドネシアは災害を不可避なものであるとして、そしてリスクを低減するための投資をしたのです。二番、地方自治と同じ言葉になりますが、中央集権から地方自治への移行がありました。責任は従って地方自治体・地方政府に存在を取り上げることの責任委譲をとります。三番、災害救助でありますが、これは基本的な権利ということになりますので、政府が善意で持って救済をするということでなく、政府は責任を持って人の人権を災害にあったときに守るということでなくていけないわけです。それから第四点は、政府中心でなく、参加の方々のものにするということです。過去何ヶ月におきましての災害管理法が顕著になっておりますが、それは国家の役割を明らかにしますし、また開発に災害管理を統合している、それからそれぞれのプレーヤーが誰かということが明らかにしておきまして、インドネシアの政策の枠組みでありますが、それに関しまして見られております。行動計画というものが全国的に通したと思います。これを実行する上に、インドネシアはグローバル・フレーム・ワークに、例えば兵庫の行動枠組みでありますが、昨年の神戸の国際会議から出てきたものでありますが、それを取り上げるということです。それをアセアンの地域協定として取り上げるということです。それからガイドラインを明らかにするということで、災害管理を行うということです。そこで、インドネシアは何を災害管理に関して実行しているかということを説明することに当たりまして、人間の安全保障に繋げて考えてみたいと思います。災害管理といいますのは、実際は戦略的なオポチュニティ、つまり手を繋いで私どもが進展するチャンスが与えてくると思います。災害地においたおオポチュニティです。まず第一です。比類のないオポチュニティを人間の安全保障を育てるために提供するということです。また、人的なモデルでもって、人道主義を促進する、これは国家を超えているということです。ミャンマーであろうと、インドネシアであろうと、フィリピンであろうと、世界にそういった災害が起こったならば、世界が対応するということです。三番目、戦略的な繋がりを、持続可能な開発と、人道的な援助との間に戦略的に繋げるということです。ですから災害があったならば、持続的な開発に繋げて援助するということです。パラダイム・シフトでありますが、これもう一つは何々に対して防衛するのではなく、ライバルと共に防衛するというパラダイム・シフトがあるべきだということです。それでは、終わりに最後に申し上げたいと思います。いろいろな災害管理の体制があると思います。それが幾つかもあります。ですが、共通性もあります。一つは国家がその他の国家に援助する時には、政策的な意味合いではなく、人間の生存者が災害によって共に助けなくてはならないと考え方でもって前進しなければいけないということがあるからだと思います。ご清聴、ありがとうございました。

多賀:

 きちっとまとめていただいて、ありがとうございました。コンセプトから始めて、その脅威をどう機会として捉えるか、それからパラダイム・シフト、これは一番重要な点であったと思いますけれども、4点ほど取り上げていただきました。インドネシアの現状についてお話をしていただきまして、最後にまとめくださって、最後の言葉はやはり非常に印象に残るかと思います。他の国々が政治的な理由とか、或いは信条の理由とか、そういうことで助けるのではなくて、助けていくという話、これは最も重要な点ではなかろうと。どうもありがとうございました。それでは、報告のほうの最後、勝間先生、では、よろしくお願いします。

勝間:

 早稲田大学の勝間と申します。よろしくお願いします。日曜日の早い時間ですが、これだけたくさんの方々がお集まりいただきまして、会場に静かな熱気を感じております。まず、人間の安全保障という言葉がどういう意味を持つのかということについて簡単にお話をしたいと思います。一つは今まで言われた伝統的な国家の安全保障と何が一緒に、何が違うのか、ということなのですが、今新しい国際社会のシステムの中で、この国家が常に国の人々の安全保障できない、そういった状況が生まれてきているということが言えるのではないかと思います。その理由として、二つの現象があるのではないかと思います。一つは複数の国家が跨るようなグローバルな、或いは地域的な問題が起こってきているということです。これはHIVエイズの問題であったり、或いはテロの問題であったり、そういった国境を越えた問題ということがあるのですけれど、これに対しては伝統的国家はその国際機関というものを作って解決しようとしてきたわけですけれど、それでも不十分であると、国家だけでもなく、国際機関だけでもなく、NGO、或いは場合によって企業に対して社会的な責任を求めるということが必要になってきているということです。二つ目としては、国家の内部にある分裂が顕著化しているということがいえるかと思います。これは都市部と村落地域の格差であったり、或いは社会的な排除、これは民族的な、社会的な排除、宗教、或いは社会回帰による社会的な排除、というのがあるということです。場合によっては破綻国家、その国家として機能していないような国もあるということがいえるかと思います。こういった二つの側面の中で、人間の安全保障という視覚というものは重要な意味を持ってくるということが言えるかと思います。これはプジオノさんもおっしゃったわけですけれども、国境を越えて人々をコミュニティーとして繋ぐ概念として考えることもできるかと思います。そしてまた、その国家の安全保障と矛盾するのではなくて、相互に補完するような関係だということが言えるのではないかと思います。それでは、こういった人間の安全保障の諸点をもって考えていくべき問題が私たちが住むアジアにないかということを少し考えてみるのです。私はここでお話をしたいのは、その一つの典型的な問題として人身売買というものが挙げられるということになります。まず子供の性的搾取のグローバル化ということについてお話したいのですけれど、一つはサービス、これは性的なサービスということなのですけれど、この性的なサービスを求める人たちがどんどん国境を越えていくという現象が特に日本では1970年以降顕著化しているわけです。これに対して、1980年以降そのサービスを提供する人が自分の国を出て行くと、或いは連れ出されていくと、そういった現象が出てくるということが言えます。このような国境を越えたサービスのプロバイダー、或いはサービスを求める人たちの動きがあるということが言えます。二つ目に、ものということなのですけれど、これは例えば子供ポルノということを例に挙げますと、その技術革新、これはインターネットであったり、或いはビデオカメラの携帯性の向上によって、飛躍的にその子供ポルノというのが普及していくと。それに対して、規制が欠如している。これはインターネットに対する規制が難しい、或いはこれは国境を越えた場合取り締まるのが難しいということがいえるかと思います。三つ目として、斡旋ということなのですけど、その需要と供給と、需要する側と供給する側を媒介するような形で、性産業という、その子供の性の商品化が行われているということです。ここに介在するのは、多くの場合は国際組織犯罪があるということです。アジアにおいてどういう状況であるかということを簡単に見てみたいですが、もちろんこういったことについて、正確な情報というのは無いわけはないですけれど、アメリカ国務省の報告によりますと、アジアにおいては一年間20万人の女性・子供が強制的に人身取引されているというふうに言われています。これは世界におけるその女性と子供の人身取引の三分の一に当たるということになります。逆に言うと、世界で60万人の人たちが人身取引の被害になっているということです。目的ですが、もちろん性的搾取ということは大きな目的なのですが、これ以外にも、児童労働、特にその細かい手作業の仕事に対する児童労働、また麻薬の密輸、或いは養子縁組としてその人身取引の目的ということが挙げられています。これは人身取引の東南アジアにおける動きというわけですけれど、これはアメリカのジョン・ホプキンス大学の研究チームが作った地図なのですけれど、これを見ていただくと、アジアからヨーロッパへの流れ、そしてアメリカ大陸への流れというものが、非常に強いということがお分かりかと思います。そして、アジアの中にも、色々な役割分担があるというのが言えます。少し見えにくい地図なのですけど、赤い点があります。この赤い部分ですが、ちょうどタイになっています。東南アジアにおいて、タイがそのトランジットのポイントというふうに位置づけられています。つまり、より貧しい国、例えばカンボジアであるとか、ラオス、そういったところの子供が場合によっては一旦バンコク、タイに集められて、そこを通過点として、日本とか、ヨーロッパへ連れ去れて行くと、そういったところになっているわけです。これはアジア各国のNGOが協力して作成した研究をまとめたものなのですが、輸出国としてカンボジア・ラオス・ミャンマー・インドネシア・ベトナム・タイ・フィリピンといったことがあります。そして、その目的として性的搾取以外に麻薬の密輸であるとか、児童労働があります。或いは場合によっては、物乞いのために人身取引をされています。物乞いは、子供を物乞いさせて、その集めたお金を収入とする人たちがいるということです。では、その人たちはどこへ連れ去れて行くか、輸入する国がどれかというと、これは本当に色々な国があるのですけど、所得の高い国へ動いていくということです。カンボジアとか、ラオスとかを見ると、タイというところが出てきます。ですから、一旦タイに行ってから、そこからまたどこかへ行くと、そういったトランジット的な通過点としての重要な位置づけがタイになっています。それに続くのがベトナムということです。ベトナムは第二の通過点的な国に位置づけられています。それでは私たちが住む日本は先ほど輸入国という話を言ったのですけれど、どういった状況になっているかということについて簡単に触れたいと思います。先ほど少しお話をしたのですが、1970年代、日本からのセックス・ツアー、東南アジアに対するセックス・ツアーというのが非常に大きな国際問題として取り上げられました。これに対して、特にタイのNGO、エックパトというNGOがあるわけですが、それが中心になって、これを何とか止めさせようと、そういった運動、法制化の動きというものが行われたわけです。その後、その集団的な買春ツアーというものが無くなりつつあるのですけど、最近は集団で行けないのですけれど、現地集合型のツアーが増えているということです。1980年代になりますと、色々な法制化のなかで取り締まりが厳しくなってきて、逆に需要する側は出かけていくのではなくて、供給側が日本にやってくると、東南アジアの子供が日本に売られてくると、そういった現象が顕著化するわけです。アメリカの国務省は人身取引報告書というものを出しているわけなのですけど、この2004年版によりますと、日本が監視対象国として分類されてしまうと、これは日本として大変なショックだというわけです。対策されないと、日本は制裁対象とするというような報告書だというわけです。こういった大きな色々な問題があったと思いますけど、国際社会のレベルではそういうふうに対応してきたということについて簡単に触れたいと思います。まず国連総会で採決された『子供の権利条約』では、34条と35条において、子供の性的搾取・子供の人身売買を禁止するということ、これは子供の権利に反することについての条項があります。この条約は世界の殆ど全ての国が署名し批准しているということで、国際社会としてのコミットメントというのはしっかりしたものがあるということが言えます。またその現状を把握するために、国連では特別報告者、スペーシャル・ラポーターというシステムがありまして、調査の結果のレポートが提出されるということです。先ほどお話したタイを中心になってエックパトというNGOが「子供の商業的な搾取に反対する世界会議」というものを開催した。これはスウェーデンのストックホルムで1996年開催したわけです。このとき国連機関ユニセフとエックパトが中心になって開催したわけです。これは非常に画期的なわけです。当初はどれだけの参加者が見込まれるか分からないなか事務を進めたわけなのですが、非常に国際的な注目を浴びたと、ここで行動計画が採択されて参加国がコミットメントをしたということは重要になります。その後子供の『子どもの権利条約』の選択議定書の中に、子供の売買・子供の買春・子供のポルノを禁止するものがありまして、これが2000年に出てきたわけです。そして同じ年の後半に、『国際組織犯罪防止条約』の選択議定書として「人身取引議定書」があるのですが、通称『パレディモー議定書』といわれるのですが、これが採択されたわけです。そして国連人権高等弁務官によって、人身権と人身売買に関する原則及び指針の勧告というものも出されていました。また、この問題について、現状を把握していくために、国連の特別報告者という人が任命されています。今はシーマ・ウダンさん、バングラディシュの方なのですが、この方が中心になって、現状調査も進められています。アジアにおける取り組みなのですが、実はアジアはこの問題に関してかなり進んでいる地域であるということが言えるわけです。まず、アセアン閣僚会議においては、1999年子供と女性の人身取引について、重要な課題であるということを議論してきます。横浜においては、先ほど言ったストックホルム会議のフローア会議として、2001年横浜で「子どもの商業的性的搾取に反対する第2回会議」が開催されました。その買春ツアーということ、日本は非常にそのストックホルムで叩かれたわけなのですが、日本として対策を採らなくてはいけないということで、日本政府・エックパト・ユニセフの主催で横浜で開催したわけです。また、アセアンにおいては、アセアンの加盟国の中で、コミットというプロセスがありまして、これは人身取引に反対するメコン閣僚イニシアティブというものなのですが、6カ国、中国・カンボジア・タイ・ラオス・ベトナム・ミャンマーの6カ国が非常に緊密な協力をしながら、人身取引に対するそのいきなり対策を採ろうということで、2004年に覚書MOU(メモリ・オブ・アンダースタンディング)を交わしたということです。これは世界始めての人身売買に関する地域協定であると、非常に重要なわけです。その翌月にアセアン会議があったわけです。そこで、『人身売買に反対するアセアン宣言』というものが採択されています。非常にアジアにおけるこの問題の重要性、それに対して、アセアンを中心にする対策、それに対して国家だけではなくて、NGOは非常に重要な役割を果たしている。また民間企業の社会的責任をもとめてくるというふうになっております。日本ではどういうことが行われたということをいいますと、1999年に『児童買春・児童プルノ禁止法』というものが通っております。また先ほどの国際的な動きに対応して、選択的議定書に対する署名を、2002年に行っています。そして、日本の中で非常に色々な省庁が関係する、その法務省であったり、厚生労働省であったり、警視庁であったりとか、色々なところが関わっているわけなのですけれども、そのための調整の会議として、「人身取引対策関係省庁連絡会議」が設置されて、「行動計画」が2004年に作られています。そして、2005年に刑法改正を行いまして、「人身売買罪」というものが成立されています。こういった努力をした結果、別にアメリカの顔を伺えるわけではないのですが、アメリカ国務省の出している『人身取引報告書』の2005年版からは日本は監視国からようやく外してもらったというような動きがあります。こういった新聞記事は私たちがときに目にするわけなのですけど、例えば右側なのですが、タイの13歳の女の子が日本に売られてきて、数年間にわたって日本で転売されたという報告です。子供の値段は220万円ということです。左側はインドネシアの15歳の子供が日本に売られてきて、性産業の中に転売されたが、こういった子供たちが日本で保護されて始めてこういった問題が日本にある、これは氷山の一角しかないわけです。当初はそういった法制度は日本には無かったので、被害者であるはずの13歳、15歳の子供がいわば犯罪者として、不法滞在者として捕まったと、逮捕されていたというのが最初の現状であるわけです。これを変えていかなくてはいけない。去って、最後に、今後の課題なのですけど、人間の安全保障という概念は、保護ということとエンパーメントということをよくいうわけなのですけれど、保護の視点から、人身売買にあった女性・子供を犯罪者として取り扱わなく、被害者として救済すると、そのためにアジア域内における協力のシステムを作っていく必要があるということです。また、政策制度として人権を守るシステムをアジアにおいて構築していかなければできないと。また同時に組織犯罪に対する取締りをいきなりに行う。これは国レベルか、地域レベルかでもっていかなければならないというのは最も大きな課題なのわけです。またその人身取引において、引き寄せ要因、その人身売買の対象となるのは、いわゆる引き寄せられている。色々なうまい話、騙されていく、そういったことに対する対応が必要であると。それに対して、エンパーメントの視点から、社会的に弱い立場に置かれた女性と子供の教育、地位向上、地域内の教育協力というものが重要になってくる。また押し出し要因。貧しさの中から出て行く。そういったプッシュ・ファクター、押し出し要因があるわけですけれど、これに対する対策も長期的に必要になるわけです。最後に、アジア・ヒューマン・コミュニティーの形成に向けて、アジアにおける人間の安全保障のネットワークの構築が必要になっていると。これは国家だけではなく、市民社会・NGO・民間企業も巻き込み、また研究者、大学も非常に大きな役割を果たしていくということがいえるのではないかと思います。以上です。

多賀:

 ありがとうございました。大変密度の濃い、しかもこの分野の方でなければわからないことです。色々ショッキングな数字とともに、ご報告いただきました。いわゆる国家が人々の安全保障をできなくなったという二点、その国境を越える問題群、それから国家内部の分裂、こうした視点からいわば国境を越えた人々を繋ぐコミュニティーがなければならないといった発想がヒューマン・セキュリティだと、その観点からアジアを見たら、この人身売買の問題が出てきて、しかもさっきのポイント、私も驚いたのですけれども、アジアの人身売買に関わるポイントとして、52のポイントがあると、国々が関わると、我々も驚くべき事実であるということだろうと思います。その解決方法として、保護とエンパーメントとここで温先生が最初に述べられたいわばAHCというようなネットワークが必要であるという話をいただきました。さあ、もう時間があまり残されていないのですけれども、ご質問を受付けないと多分全て貯めたままお昼に皆さんおいでになっていけないとおもうので、もう本当に限られていますので、簡潔にどなたに、何を伺いたいかという、コメントは一番最後のほうでもしていただくことにして、ご質問を受け付けようと思います。二人に限らせていただきます。どうぞ。早い口で。どなたに、どういう質問かということ、簡潔によろしくお願いします。

質問:

1.温先生に質問です。温先生はアジアには市場がないとおっしゃった。これはアメリカの資本主義の覇権だとおっしゃったのではないかと、解釈させていただいたのですが、かなり悲観的な観点を温先生はおっしゃった。アジアは市場がどこかでできないかぎり、アメリカの資本主義的覇権に対抗することができないとおっしゃったように思いました。なぜそう思われるのでしょうか。私が思うに、国はこれは意志ではないかと思うのです。自立的な資本市場をその地域に作るというのは、それぞれの国の意志にかかって。その意志さえあれば、可能なのではないかと思うわけなのです。少なくとも日本を見た場合、日本にはそういう意志が見られません。常にアメリカの方に目を向けている。アメリカがどう思っているのかを常に気にかけていて、アジアの通貨危機のときにも、アジア基金を設立と、日本が思ったわけですけれども、財務長官がこれに意欲がないところ、日本は静かになってしまったと。即ち、アジアのために、なにかをするときには、アジアにその気があればできると思うのですけれども、これはどの国もそうですし、日本であれ、中国もそうかもしれませんが。どうもそういう意志がないように私は思うのです。どう思われますか。

温鉄軍:

 長い長い回答が必要でありますが、手短にしておきましょう。地域統合には、即ちこれは縦の統合です。この地域のリーダー的な国はその暫定なセンター、中心としての立場を維持したいわけです。例えば、NAFTAの中では、アメリカはキチンとしたその金融センターとしての立場を維持しつつ、そしてカナダ、それからメキシコとの垂直的な統合をしたわけであります。なぜNAFTAが成功しているかというと、そういうことです。EUも同じようなものであります。EUはやはりソ連の崩壊という歴史的なものがあったので、可能だったわけです。それ以前は不可能であった。というのも、中央部のヨーロッパ、例えばあれは中心的な国、ドイツ・フランス・イタリアなどは経済的な構造をもっているわけですが、こういったところが、その垂直的な統合をすることができる。ところが、水平的な統合というのはほぼ不可能です。そのコミットメントは一応であるということです。歴史的な機会というものが、例えばソビエトの崩壊といった、そういった機会がなかったならば、東ヨーロッパ、或いはソビエトの資源を金融価値化するということはできなかったでありましょう。ということで、それが大きな機会であった。アジアにはそういった機会・チャンスというのがないわけですので、まだまだ待たざるを得ないということです。

多賀:

 質問がありませんか。それでは、時間も大変経過いたしました。第2セッション、第3セッションのほうでただ今の議論を引き続ける形でご質問等々、或いはごコメント等々があれば、フローアの方からもお寄せいただければ大変幸いです。パネリストの先生の方々、ご協力、本当にありがとうございました。それから助手の皆さん、ありがとうございました。少し時間が延びましたけれども、どうぞご勘弁ください。それでは、第1セッションはこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

基調講演「平和、平等、友好そして開発」
呉青
天児:

 英語教師のほか、女性権利を守る人権活動家として、人権擁護組織を創設して学者いい害に社会的な活動家として大きな影響力を持っている。著名な謝冰心を母に持ち、日本にも幼い頃に滞在経験を持っている方。人間の安全保障というテーマにふさわしい適任の方をお迎えできたと、大変喜んでいます。

呉青:

 友人の皆さまこんにちは。特に若い友人のみなさま、こんにちは。私はこの国際シンポジウムの基調講演者として選んでくださったことを光栄に思います。この部屋にいる一人一人が私の友人です。というのは私たちが共通の大義を持っているから。われわれ全てが平和、平等、友好の世界を持ちたい。そしてこの地球に住む全ての人々の発達を願っております。

 民族、国籍、階級、正義は関係ありません。私たちはそれぞれの国で責任のある市民となりたいと願っております。私たちは自分たちよりもわれわれの家族よりも自分たちの国をより大きく考えたいと思っております。私たちは地球市民になりたい。しかも、それぞれの国のアイデンティティや利益を超えて大きなビジョンと使命感を持った地球市民になりたいと考えています。地球市民のイニシアチブが会って初めてお互いが協力し、やがて地球市民として私たちが頭を悩ましている全ての問題の解決が出来るでしょう。私たちはまず色々な国の国民の間で信頼と尊重と理解を高める必要があることを知っています。しかし、このような友好の橋を架けることは簡単なことではありません。国の間でそれ程大きな違いがあるからです。政治体制においても文化においても信条においても国々はあまりにも違う。特に戦争が起こったり、またそれぞれの国の間で長い間国民の間で敵対感情がある場合には橋渡しをするのは難しいです。このような橋を構築するためには時間と忍耐が必要であります。一年に四つの四季があります。雨降る日もあれば、照る日もある。 

 曇る日があれば雪が降る日もある。ですから、橋を構築するときには強い信念とそして戦略において長けていなくてはなりません。例えば橋のそれぞれの場所にどういう材料を使ったらいいか知っていなければなりません。いつ、その仕事の手を休めるか、そしていつ再び仕事を始めるかも知っていなければなりません。この橋を構築する人たちが不可能なことを可能にしようという強い意志を持って、そしてあらゆる努力を払って初めて平和と平等と友好と発展という目標を達成することが出来るのです。

 東京は私にとっては、目新しいところではありません。1946年から51年まで東京に住んでおりました。私の両親に従って第二次世界大戦後東京に移って来たのです。オーエンザオ博士というのが私の父親でありましたが、中国代表団の政治部長として、日本に赴任したのです。東京は私が多くのことを学ばせていただいた土地であります。ここで私は侵略した国の人々がいかに苦しんだか、そしてそれを口をつぐんで全てを耐えなければならなかったこと、そして少しでも戦争に対して不公正な戦争に対して抗議のしるしを示そうならば、裏切り者として迫害されたということを知りました。それでありながら、敗戦国としての負担を共有しなければならなかった。そして、この侵略国の国民に対してどういう態度を取るべきか、ということも私は学ばせてもらいました。私はここで私がナショナリズムというのは、諸刃の刃だということを私の小さな間違いから学ぶことが出来ました。歪んだナショナリズムは更に戦争へと突き進み、そして人類に対して悪いことを起こすのです。

 それでは皆さん、私が東京に初めて来た時、1946年11月に初めて東京に来たときの過ちについてお話をしましょう。私が生まれたのは1937年11月。これは中国で第二次世界大戦が始まった後、1月7日日本の軍部が華北に侵略して来ました。私は両親は日本の侵略者、また空爆から逃れるために旅を続けました。いつも転居していました。長い間、一つの場所に住み続けることはありませんでした。私の家族にとって移転をすることは楽なことではありませんでした。子供たちが若かったからです。私の兄は6歳。姉は2歳半。

 私はわずか8ヶ月でしたから。私の両親は列車で北京から天津、さらに上海へ、さらに船で香港まで行きました。そしてまた香港から出て電車でベトナム、それから昆明、雲南省の昆明に行き、そこで2年間住みました。それから四川省の重慶にも行き、そこで学校に上がりました。したがって4年の間、旅行していたんです。そして、長い間、防空壕の中で過ごさなければなりませんでした。私たちの内から3マイルほど離れたところにある、冷たい湿気の多い暗い防空壕でした。60年以上経った今でもこの防空壕のことを忘れることは出来ません。空爆は生まれたときからついてまわって参りました。私たちはこの空爆の恐怖から逃れるためには時間がかかったのです。

 中国の国民党はあまり装備が強くありませんでしたので、日本の空軍機が低空飛行して爆撃を致しました。したがって、百発百中でした。多くの人達が殺されました。家や建物が破壊されました。そして、生き残ったとしても、家を失ったのです。日本の国旗が飛行機の上にあるのが明らかに見えました。連合軍が勝ったのが、1945年ですが、その後でも私は飛行機の音を聞きますと私の顔は青くなり、身体は恐怖で硬くなってしまうのです。
このような経験がありますので、私は日本人が大嫌いでした。日本人、誰であっても嫌いでした。私は中国のために報復してやろうと思っていました。この小さなナショナリズムの悪魔が私の中に棲んでいました。そして、全く理不尽な形で私に行動を取らせたのです。この日本の帝国主義的な侵略に対する憎悪、これは私の家族では別に新しいことではありませんでした。私の母方の家族に長い間それはあったのです。母方の祖父は8カ国の8強が中国を分割しようとしたときに、生きていました。それぞれの列強は自分が一番いいところを取ろうとしていました。清朝はあまりにも弱くてノーと言えなかった。そして、市民を守ることさえ出来なかったのです。国民は希望を失い、屈辱し、そして侮辱されたように感じていました。あるとき私の母方の祖父は海軍に入りました。非常に愛国的な将軍に誘われたのです。彼は租界を取り戻そうと。そして強い海軍力を作って、そしてわが国を外敵から守ろうと思っていたのです。私の父は非常に優秀な砲手でした。しかし、第一回目の日中戦争が1894年に開かれたときに、友人が殺されました。そして戦艦は撃沈されました。彼は20マイルも泳いでようやく生き残ったのです。彼はこのような侵略者を駆逐するのだと、そして自分の殺された親友のために報復をしてやろうと思っていました。また、戦争で死んだ政府のために戦おうと思っていました。非常に頑張りましたので、彼は山東省えんたいの海軍大学の学長になりました。そこで私の母は子供の頃を過ごしたのです。

 私のロードモデルである母について、話をしました。彼女は謝冰心という名前で1900年に生まれ、99年に亡くなりました。ペンネームはビンシンと申しました。彼女の父は大変に開放的な人であり、母親は大変に高い教育を受けてジェンダーにも非常に気を払う人手ありました。彼女が若いときは、いつも海軍将校に表も受けていた黒だったのです。11歳になるまで色をつけたものは着させてもらえませんでした。彼女はお父さんに大変可愛がられて来ました。纏足も致しませんでしたし、耳に穴も開けられることもありませんでした。いつもいつも知識に飢えていた母でした。古典を5歳になって読み始め、詩や小説を書くようになりました。わずか8歳から9歳のときだったそうです。彼女はキリスト系の女子学校に北京で上がり、優秀な成績で卒業いたしました。そして、イェンジン大学の医学部に入りました。1919年に学生で民主運動が起こって彼女は医者になることを辞めまして、そして自分の母親や人類を助けようということになりました。

 中国は第一次世界大戦の戦勝国ではありましたが、しかし多くの帝国、列強が中国を略奪しておりました。このような屈辱に対して抵抗がなかったので、中国の学生たちが自分たちの抵抗を行おうとしたのです。民主主義に対する希望を示すために、街でデモを行いました。これが起こったのが、1919年5月4日のことです。これが中国最初の学生の民主的運動の始まりでした。私の母はその時北京女子学生連盟の書記でありまして、広報を担当しておりました。この5月4日のデモのときには多くの学生が逮捕され、不公正な裁判を受けました。彼女は学生や学生に対して社会正義を求める弁護士のために記事を書きました。そして、古典の中国語ではなくて、その地元の誰でも読める中国語で軍閥についてのことを書いたのです。また、新聞チェンパオという朝刊にも記事を書きました。彼女の話は非常に人気がありまして、有名になりました。

 さて、ニャンジン大学を1923年に学士号を持って卒業いたしました。ファンビン・ダ・キャパという最優秀で卒業したのですが、その後アメリカに行きまして、ウェルズリー大学で文学を勉強いたしました。そこで日本や多くの国の女性と友達になりました。彼女は大学院を卒業し、1926年に修士号を取りまして、中国に戻りました。そして中国のえんけい大学で中国文学を教えましたが、1936年までこの大学で教員を務めました。彼女は素晴らしい作家であり、詩人であり、翻訳家、文学学者であり、社会活動家であり、中国の良心でもあると言われています。また、彼女は、フェミニストでもありました。私が小さいとき、彼女はよく私に言ったんです。「あなたは女である前に、人間なのよ」と言われました。私の母は東京大学で初めての女性講師となりました。47年から48年まで東京大学で中国文学を教えました。そしてその職を辞したとき、東京大学学長は彼女のためにパーティーを開いてくれました。何かお望みありますか?と学長に聞かれて彼女はこう言ったそうです。より多くの女性の教員が増えるといいですねと彼女は言ったそうです。45年から47年、これは日本の国民にとっては最も大変な時期だったと思います。全てが配給制度でした。食料はなく、皆お腹を空かせていました。暖かい洋服もありませんでした。小さな家は寒く、人々であふれていました。でも、学校は開いていたのです。子供たちは寒い中でも短いパンツを穿いて学校に行きました。そして、自分の椅子さえ持って行ったのです。まだ教室がなかったので、野外での授業でした。このような困難があるにも関わらず、全ての人は皆笑顔でした。私は遠くから見て、この日本の子供たちが野球をしたり、それから縄跳びをしたり、大きな声で叫んだり笑ったりしているのを見ました。この人達はたのしんでいることが分かりました。彼らの精神は素晴らしいと思いました。日本人と遊びたいとも思いましたが、私の心の中にある小さな悪魔が言いました。こんなことしちゃダメだと。私は全ての日本人を嫌いでなければいけない。そして日本語を学んだっていけないんだと。日本人の子供と遊ぶことなんて許されないと思っていたのです。中国人であるんだから、何で私が日本人が中国人にやったことを忘れることが出来ようかと思ったのです。日本人を嫌悪しないと今度は祖国に対して同胞に対する裏切りだと思いました。日本人を嫌って初めて愛国者になれると思ったのです。日本に来て母は、ウェルズリーの卒業者を探しましたところ、日本人で3人卒業生がいることが分かりまして、木曜日の昼食会を開くことになりました。料理人はその木曜日のランチだけではなく、お客様が家族のために持って帰る料理を作らされていました。父は外交官でありましたから、大変に忙しい毎日でした。少しでも時間があれば、この木曜の昼食会に出席いたしました。父も日本人の苦しみに日本人の生活のことを少しでも知りたかったのです。戦中、そして戦後の生活を知りたかったのです。私はその日本人の方たちのお話を聞き、涙をこぼしました。私はこの方たちが大好きでした。それは母の友人だからです。私はこの日本人の方たちをおばさまと呼んでおりました。また、両親と共に、おばさまたちの家を訪ねてそのお子さんやお孫さんたちと遊んだりしました。でも、私としてはこれは特別なのだと思っていたのです。大嫌いな日本人と仲良くなることとは違うのだと思っていたんです。

 さて、47年の春、両親に本が贈られました。たくさんの写真が載っていまして、これは日本の軍部が中国で行った犯罪という題がついていました。南京大虐殺、また殺人、虐殺、略奪の写真がありました。若い女性や少女たちがレイプされ、殺されていた。若い、または年を取った男性が大量虐殺されていました。一人の日本の将校は自分の殺した97番目の心臓を食べたという写真さえありました。それぞれの写真を見ながら、私は本当に怒りました。憎しみが私の心から喉まで出てきまして、涙がこぼれました。死んだ人のために何かやらなきゃいけないと、絶対に何かやってやるぞと思いました。私は友達、6人の男の子たちに写真を見せました。そして私が首謀者となりました。何をやってやろう。日本人に報復してやろうということで、バイクに乗って毎日外に出まして、日本の子供たちを追い散らしました。もちろん、宿題が終わってからです。母がそのことを知ったとき、母はとてもとても怒りました。私は母があんなに怒ったのを見たことがありません。彼女は怒りました。何であんなこと言ったの?日本の人達だって戦争のときは本当に苦しんでいたのよ。聞かなかったんですか?日本のおば様方が言ったでしょう?戦争中の生活について話してくれたのを覚えてないんですか?戦争に反対すれば、裏切り者といわれて粛清されたのよ。子供たちだって苦しんだのよ。今だっておば様たち日本人は苦しんでるじゃありませんか。戦争中そしてまた戦後にも自分たちは苦しんだことを話して同情してもらえるけれども、平和を愛し、戦争を嫌った人達は自分の口を開くことが出来なかったのよ。そして、だからその人達に対してあんな残酷なことをどうやって出来るの、と。日本人も中国人も戦争のときは苦しんだのです。日本の人達は私たちの友人です。日本人は戦争をやりたかったわけではない。日本の軍部だけが中国を侵略して、多くの中国人を殺したんです。と母は言いました。ですから、母が私に言ったことは正しかった。私は非常に厳しい経験から多くのことを学んだと思います。

 あろうとも100%国民を代表することは出来ません。歴史はこのような多くの歴史を示します。そのようなことを忘れることは出来ません。私はラッキーだったと思います。両親は大変良いロードモデルを適用して、私に教えてくれました。そして、観察させて、私の指導をし、そして私は徐々にこのグローバルな見解を持つように方向付けてくれました。私は今アジアにおきまして、歴史、そして事実に直面し、そしてグローバルな市民としての責任を果たさなくてはいけません。過去の経験からわれわれは学び、注意深く共通な問題を選び出し、そして問題解決のために共に歩み、そして私どもの違いを徐々に橋架けしていかなければなりません。しかし、したがって大変重要かつ意義のあることは、このような時期にあった会合を持つということです。グローバルな問題といったものは全ての国によって直面されております。単一、たった一つの国のみでも、それに対処することはできません。共通の問題を解決するためには平和的な環境が必要であります。私どもは法の原則に則って信頼を作り上げなくてはいけません。変革を遂げるためには、バランスの合った開発のモデルが必要です。そこでは、環境の保護、そして社会的な平等といったことの考えをいれなくてはいけません。最初から注意深い計画なくしては、更なる問題が出てくるということになりましょう。

 それでは、次に具体的な問題を取り上げたいと思います。中国が直面する問題です。1979年中国はその政策を階級闘争から経済発展へと以降致しました。また、計画経済から市場経済へと移ったわけです。国民は今のところ、多くの権利を享受することが出来ます。これは中国の憲法の中に書かれております。国民の生活は改善しました。さらなる投資が私どものインフラなどにつぎ込まれています。生産は向上しております。政府は益々人民の要求かつ、ニーズに応えようとしております。しかし、残念ながら、成長と進展といったものは平等に共有されてないということです。かなりの格差が、農村と都市の間にあります。東の沿岸と、それから西の領域。それから豊かな者と貧しき者の間にあります。過半数の市民は農村地域に住んでおります。特に女性です。都市に移った者、それからまた、都市におります雇用のない貧しい者は特別な、特殊な挑戦があります。中国は多くの問題を抱えています。個人として、私は何をすべきでしょうか?では、皆さまとなぜ私が今やっていることをお話してみましょう。

 最初に甘粛省のフイニンに行ったときです。これは1990年の夏、CIDAのジェンダーのスペシャリストの代表としてでした。そこでの自然の条件は厳しく、インフラは全くないといった程度でした。また、水は少なく、そして国民は飢餓状態でした。私は全く驚きに直面しました。こういった、それ以来ですが、政府は一体中国の西におきましてどういったことをしてきたんでしょうか。政策はなくてはなりません。それによって全ての市民が、経済成長の一端を共有しなくてはならないということです。政策は包括的であり、かつ、細かくなくてはなりません。このような旅をすることによって、私は責任のある市民として行動する力を得ました。私のようなエリート家族から出発いたしますと、貧困というのが大変抽象的なものであります。劇や映画でしか、遭遇しておりませんでした。しかし、貧困の場面というのは全て私の心の中に焼きついております。私と共にこれは残るでありましょうし、従って私よりも幸福でない人達のために戦い、かつ活動するということにつながるかと思います。

 私は人民代表を1984年から民主的に選ばれた人民代表として活動しております。これは地区において、7期目、市政で4期目になります。私は初めての人民代表として、実際に中国の憲法をもって、人々の権利を守ることをしております。毎週火曜日、私はそういったニーズあるいは要求、不満といったようなものに耳を貸します。そして、私の行動かつやることに関して報告を適宜致します。というのは、私は法の原則、民主主義、説明責任、透明性といったことを信じているからであります。従って、制度を変えるといったことは必要であります。構造です。それから、中国、わが国のメカニズム、これは中国の憲法に則ってされなくてはいけません。市民の一人ひとりが単に改革に参画するばかりでなく、同時に損失をも肩に背負い、そして利得を手にするということをしなければなりません。こういった方法によってこそのみ、中国は発展をすることが出来、バランスの取れた形で一歩前に進みましょう。私は北京人民代表の一人として、より良い法律、政策、規制といったものを憲法に鑑み、推し進めてきております。二つのレベルの政府が責任を持っております。つまり、全てのことが自動的に手に入るといった世界ではないと思っています。

 NGO活動の視点に下りまして、私の北京文化開発センター、これは農村女性のための北京文化開発センターですが、それに関してついてお話したいと思います。

 これは農村かつ移住した女性に力を与えるということでありまして、また考え方を掲げることによって自身で変革を遂げるようにせしめる訳です。女性の人権を進めるということです。中国は世界でも、農村女性人口の最も多いところであります。多くのものは読み書きが出来ません。このような限界、制約が封建的な伝統の厚い壁があり、生活の質を改善する目的の障害となっています。女性に対するサービスを見つけるという、特に農村の女性に教育、法律、保険、雇用、社会或いは公共サービスなどに関してサービスを提供することが最初のプライオリティであります。農村の女性がまず読み書きできるようにしなければなりません。それから、女性に対してまず人間であること、第2に女性であるということを強調します。女性はジェンダーの役割が典型的、紋切り型であるということで、制約を受けてはならない。伝統によって制約を受けてはなりません。私どものプライオリティは考え方を変えるということです。トレーニングコースをジェンダー、市民権、民主主義、政治参加、平等などにおいて参加方式で行っています。それによって、基盤を作るということです。民主主義的なアプローチを社会の中で作り上げていくということです。参加者は独立、自立し、自助の精神でもって自分たちの要求を声に出すということが出来るようになります。これは新しい、いわゆる長征であると思います。もっとも世界でも大きな、女性の人口、根強い伝統があるからです。一歩、一歩、進まなくてはなりません。そして、また地に足のついた様式でもってやらなければなりません。常に耳を貸し、学び、愛情を向けなくてはなりません。栄養を与えた種と同じように、私どもの組織は1993年3人の女性から現在の36名の男女へと成長しました。私どもの農村女性のためのセンターは色々なプロジェクトを行っております。識字、自殺防止、水仕様共同体の訓練、女性の政治参加、起業、それから女性連盟役員の訓練、女性の政治参加といったようなもの、それから農村女性のための実践トレーニングセンター関連、これは1988年にスタートしました。私どもの草の根活動は村、町の女性など貧困のために学校に行けなかったような人達がターゲットとなります。そういった潜在力をくみ上げ、自尊心を高め、責任のある市民になるということです。またスキルビルディングをコンピューター、理容、裁縫、ウェイトレス、家事などに関して行っています。即ち16歳から20歳の間の女の子が訓練後に都市にいたいならば、雇用を探すことが可能です。金銭を手にして、力を持てば、貧困から家族も脱出することが出来ますし、子供たちが教育を受け、自身で起業することも出来ます。私ども既に6000人の女性、女子を1991年以来訓練しています。1996年4月には移住女性のクラブが作られ、地方から都市に移住してきた女性に力を与えるようなものとなっています。憲法、労働、婚姻、家族法、ジェンダー、市民権、社会価値、市民生活などにおけるレクチャーを行っています。また、サポートグループも組織化しまして、ニーズを考えています。法律的な補助グループを2002年、緊急救済資金を2003年、法的手続きを踏むことによりまして、権利を守っていこうというものです。こういった要求から中国語、数学、コンピューター、英語などのクラスも加えまして、雇用の可能性を改善しています。加えて、本の出版も行っています。更なる多くの人々に私どもの目標を伝えるためです。サクセスストーリーを共有することによって、不確定多数の人々の気持ちを高めます。識字に関する教科書も3つほどセットがあります。それらは農村女性と中国の開発や、中国登録制、移住女性労働、青少年のための読解力。農村女性の自殺防止のマニュアルがあります。あらゆる女性は種のようなものです。種のように輪を作ります。私どもはこの輪が私どもの組織の理想的な管理法であるとかんがえています。なぜなら、輪の中においては誰も指導権を握っていないからです。私どものプロジェクトの参画者はこの訓練が有用であると言っています。自殺防止の5日間のワークショップに40人の参加、17名が2004年以来自殺を図ったものがあるものでした。河北省の村で6名の女性が新しい見方を得、不満に対応することが出来ました。村民も6人を変えたのではなく、6つの家族と600人の村を変えたと言っています。このドミノ効果が私たちの自身を更に高めてくれました。同様の例はたくさんあります。種は輪を作っています。人々は変わっています。家族も変わっています。そして、コミュニティも変わっています。

 私たちはこの目標が達成できるものであるということを知っています。しかし、まだ多くの課題も認識しています。このシンポジウムの目標の熱意、人間の安全保障ネットワークの構築ということ、共通の問題に対応するとういうことですが、このような人間のネットワークで共に活動するということは単に問題解決にあたるばかりでなく、問題を防止することを助けるという意味にもつながります。現在のグローバルな問題はそのようなネットワークを要求しています。それは一つの国だけ、一つの軍部だけでその問題を取り上げることは出来ないからです。このような努力に参画することを期待を持って見ています。私たちは顕著な貢献をこの惑星にこういった形で協力することで、出来ると思っています。

 あらゆる種を信頼しています。強力で健康であったならば、その種は根深く育ち、栄養を吸収して、茎も強力に、まっすぐ立ち、花を咲かせ、実を結び、よりよい種をつけることになりましょう。種は成長して輪を作ります。私はその輪の中の一つの種です。共有、平等、力をもって連帯という輪の一つの種です。私たちは種であり、かつ輪であるのです。一つの種が輪を作るのではなく、全ての地球市民は種であり、平和、友好、平等、発展の輪を作り、この地球を私たちとこれからの世代のためにより良い世界を作るのでしょう。

 ご清聴ありがとうございました。

天児:

 ありがとうございました。まさに今回のシンポジウムのタイトル「人間の安全保障」に相応しい、スケールの大きな、具体的な講演をしていただきました。しかも、我々日本人としては、過去の問題についてどういうスタンスでこの問題を見るべきか、ということについて示唆に富んだご指摘もありました。そういう意味で我々としてはこの基調講演を意義深いものとして、受け止めることが出来たと思います。

フロアからの質問
質問者:

呉青さん、刺激的なスピーチをありがとうございました。私もいつの日か先生のような学者になりたいと思います。単に理論を述べるだけではなく、実践力にも富んだ学者になれればと思っております。本当に素晴らしい業績を女性の権利だけではなく、人権でも活躍してこられています。女性を助けることが出来れば、その一人だけではなく、その家族を助けることが出来るからです。人権に関わっている方たちというのは、色々な世界の中のマイノリティの権利に関わっていると思います。人権に関心を持っている人は女性の権利、或いはマイノリティ、或いは障害者の権利、その他人間だけではなくあらゆる生物の権利にも関心をもっている人達だと私は経験上思っております。

 大変聞きづらい質問で申し訳ないのですが、政治家ということで責任の範疇の外かもしれませんが、欧米では中国とチベットの問題に大変関心を持っております。呉先生は日本と中国のアグレッシブな歴史のことをおっしゃった。中国と言うのは抑圧されるという受け手の側に立つという経験を知っているとおっしゃった。ところが、チベットとの関係では逆です。中国は素晴らしい国だと思います。これまでの文化的、歴史的、業績上素晴らしい国だと思いますし、また人口、国土の面でも非常に大きな国ですが、それにも関わらずなぜ、チベットを占領しなくてはいけないのか?今のようにチベットの文化を抑圧するようなことをしているのか。

呉青:

 私の個人的な視点を紹介したいと思います。私はナショナル・セントラル大学のキャンパスの中に住んでいます。特にマイノリティの人達を受け入れている大学なのですが、チベット人もその中にいます。この方たちが言うには、ただし大多数とは意見が違うかもしれませんが、歴史上チベットは常に中国の一部だったのです。ということで、人によって意見が異なると思います。もしかすると、あなたはおっしゃるような意見を持った人に会ったことがあるのかもしれませんが、色々な民族に属する人達の権利としては、漢民族が享受している同じ権利を享受することだと私は思います。他の国の人達のことは分かりませんが、スタンフォードにいたときに、「呉青さん、チベットの寺院の多くが文化大革命のときに破壊されましたね、知っていますか?」とそれから中国の他の場所でも寺院が多数破壊されたと聞いています。だから、チベットだけではないのです。文化大革命というのは中国の全ての人にとって悪夢のような時代だったと思っています。

質問者:

 意見が違うということで、意見の一致をみたいと思います。私が読んだ限り、チベットかつては中国から独立した国だった時代があったと思います。ハン・チャイニーズ、マンユーワンというチベット文化に興味のある漢民族の作者をご存知かもしれませんが、チベットを舞台にした作品があります。チベットの人達の宗教上でも政治上でも、独立した生活を送りたいと思っている人達の思いを尊重していただきたいと思います。チベットの人達の声にも耳を傾けるべきではないかと思います。

質問者2:

 北東アジアのことを考えますと、やはり、北朝鮮の独裁者がいなくなることが必要だと考えます。中国のような大国が、民主化を進めることが必要だと思います。そして、北東アジアを平和の地域にすべきだと考えます。私はアウトサイダーでありますが、中国に住んでいる訳ではないのですが、また迷惑かもしれませんが、私のようなアウトサイダーがどうやったら中国の民主化を手伝うことが出来るでしょうか?

呉青:

 これも個人的な経験としてお話致します。私は人民代表、議員として働いております。女性であること、中年であること、共産党員ではなく、前は教師であるということで、基準に合って選ばれましたが、1919年の学生運動のときに非常に頑張りました。1990年に選挙を行うようになりまして、大学の委員会が何とか足して私が再選をされるのを防ごうとした訳です。しかし、人民は自分たちの権利を知っていまして、どういう権利が必要かということも分かり、権利を行使してくださった。だから私が7期目を務めております。物事は変わってきていると思います。変わり方はゆっくりかもしれない。一つ、例を出してみましょう。表土は肥沃ですが、雨水は中に入っていって、灌漑を伝っていきます。そういう方法で中国は変わってきていると思います。ゆっくりですが、変わってきています。しかし、正しい方向に変わってきています。中国はあまりにも大きくて多様性に富んでいます。そして、政府の役人も変わってきています。変化を求める人もいますし、変化を求めない人もいます。権力にしがみついている人もいます。私が7回も選ばれているのは、党の中にも政府の中にも私を支持してくれる人がいるからだと思います。新聞には出てこないような変化もあります。しかし、変化はあるのです。ですから、多くの訓練を特に草の根レベルの、農村の地域の女性たちを訓練し、そして村レベルから変化をしていこう。自分の声を発するようにという訓練をしています。中国について49年か50年ぐらいに多くの政治化運動があって、インテリはターゲットとなりました。私もそうだったのですが。しかし、時間がかかる。しかし、将来については私は楽観的です。時間はかかります。しかも全ての人が、責任のある市民となって立ち上がって、発言することが必要だと思います。そのためには時間がかかると思います。

セッション2
「人間の安全の脅威を解消、緩和するためのアプローチを探る」

黒田氏自己紹介と各パネラー(鶴岡氏、王名氏、阿古氏、徐氏、チャンタナ氏)紹介

外務省・地球規模課題を担当している鶴岡です。日本政府からこの席に招かれたが、政府の考えを皆さんに宣伝するつもりもないし、内容の中で政府の立場と違うこともある。せっかくの機会なので皆さんと有意義な意見交換をしたい。その前に、呉先生の基調講演に深く感激した。大変な経験をしながらも明確な目的を持ち今の困難にも積極的に取り組んでいる。この機会に深い敬意を表したい。

 これまで政府の中で進めてきた理念の整理、国際社会における議論、更には我々の具体的な実践内容を説明したい。人間の安全保障という考え方は、日本の国際社会のかかわり合いの基本的理念にするべきであると考えている。日本という国がどう関わるのかを1つの基本的理念として考え方を発展させるべきではないかと考えている。

 人間の安全保障とは確たる定義はない。意図的な面もある。人間の安全保障はどこの国の特許でもなく、人類がお互い協力し合いながら、発展させ実践していくべきであると考えている。基本的な考え方の要素はあるが、定義するのは時代が動いているので適当ではないし、知識人などあらゆる方の考え方を取り入れながら大きく発展させていきたいと考えているからである。その点を理解して頂きたい。

 それを前提として基本になっているこれまでの作業を紹介する。人間の安全保障という考え方は国際社会で色々と議論されているが、基本的には民間有識者にこの考え方を整理し議論を深めてもらいたい。人間の安全保障委員会を組織して、そこで報告書を出してもらった。共同議長として緒方貞子氏、ケンブリッジ大学のアマルティア氏が参加した上で作った。なぜ言及するかというと資金的手当を日本政府がしたからである。しかし政府の考えを押し付けるということはなくみなさん自由に議論した上で報告書をまとめてもらった。その中でこの2つのこと、人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現することが基本的理念であると考えた。その上で具体的な課題としては、個人とコミュニティーの保護と能力の強化が重要であり、これからどう実現していくかをこれから考えていこうという問題の提起があった。

 政府開発援助には大綱というものがある。ODAチャーターともいうが、この中で、人間の安全保障の考え方を噛み砕いて、先ほど申し上げた援助に関する部分ということでご覧のようなことを書いた。要するに人間にとって脅威が生じている場合、その脅威の性格が今日の国際社会の中では従来の伝統的なものと違ったものが出てきている。その脅威に対する人の対応能力を高めるのが新たな視点からする援助にとって不可欠な考え方ではないかということである。

 もっと具体的にしたのが、緒方氏がまとめたJICAで議論されている「人間の安全保障の7つの視点」、これはいずれも援助の視点を重視したところからできるだけ具体的な施策につながるような整理をした考え方である。全部読むと時間がかかるので、今日の議論の主題であるアジアの考え方をどう考えるかということから次に移りたい。

 アジアに人間の安全保障の考え方を当てはめた議論をする前に、人間の安全保障の考え方の基本的論点を2つ言いたい。
1つは人間が能力を発揮できること、それがかつその地域において成果を具体的にあげていくことが、人間に対する投資、コミュニティーに対する投資を行う理由である。他方、そのような投資をし、人々が能力を開発しても、最終的にその地域、国の中で経済開発に向けて能力が発揮されなければ、能力を獲得した個人は場合によっては国外に出るかもしれない。頭脳流出の問題にもなるが、そういった本来の投資の目的であるその地域、国に将来的につなげる実現しない恐れがある。人間に対する投資ということで、方向性を持った政策を実施するとともに、その国において能力を持った個人がよりよく活動できるしくみ、制度、予見可能性、安定性、社会的しくみを合わせて構築していくことが大事である。入り口は個人かもしれないが、国際社会の中での国家の役割は依然として非常に重要であるということが言えると思う。

 具体的に言えば、先ほどの基調講演でもあった透明性、民主制、法の支配など制度が整備されていない社会でいかに個人に投資し、能力を開発しても、その国が開発するための原動力になりにくいのが現実ではないかと思う。コンディショナリティーという表現でもって、人権外交的にこういった制度を整備しなければ援助しないという考え方があるが、だんだん修正されてきているが未だに相当有力である。そのような形で協力する対応が効果的なのか、あるいはともに制度作りも含め個人と歩んで協力していくことが好ましいのか、どう実践していくかで具体的手法において違いが出てくる。私たちの推進している人間の安全保障は、共に作りながら共に歩むのを基本としている。その点で最終的にその国の制度がその人たちの十分な参加を得られない仕組みならば、その人たちから参加要求が出てくる仕組みを確立していくのが好ましいと思っている。つまりどのような態勢を構築するかは、それは外国から言われるものではない。選択はその国の人々である。選ぶ際に場合によってこちらから選択を提示することがあるかもしれないが、最終的な選択は国の中で決められるべきであると考えている。これをアジアに当てはめた場合どうなるか。アジアの特性はやはり多様性である。多様性は人種や宗教、民族などの違いのみならず、経済の開発段階、政治制度などあらゆるものが多様性に満ち満ちている世界がアジアだと思う。多様性は豊かさの源泉である。多様性を画一していくことは、決して豊かさを高めることにならないと考える。他方、共通する理念、目標が明確に認識されていないと成果がなかなか出にくい。アジアにおいてこそ人間の安全保障を共有することによって、この考え方に基づいて、より人間らしい社会をつくれるのではないかと思う。多様性のもう1つの重要な要素は、関係するアクターはもはや国家だけではなく、地域はもちろんのことNGOや多国籍企業など、人々の生活に大きな影響を及ぼす主要な参加者の質、立場も変わっている。アジアにおいてこそこういったネットワークを強化することにより人間の安全保障の考え方を進めていくことが望ましいのではないかと思う。

 具体的な取り組みについては、国際文章の中にこのような表現が出てきたということのせている。2005年の国連のサミットでも、最後の首脳の採択した文章に国連文章で始めて正式に人間の安全保障の概念が入っている。

 この考えで今まで何をしてきたのかというと、例えば、東ティモール紛争後のプロジェクトということで、日本の資金でもって、国連に設立してある「人間の安全保障基金」から資金を提供し、紛争後の帰還兵の社会復帰に繋がるような形での能力開発を推進したものがある。バングラディッシュでは、人々の安全な保健衛生環境整備のためのプロジェクトをやっている。

 次はスリランカの例をあげたが、2国間での草の根の人間の安全保障無償資金協力、金額的には1000万から2、3000万円くらいが多いが、担い手はNGO、地方政府、地方団体である。中央政府に対する資金供与ではない。今日、参加されている方で地方で独自で何か進めたいものがあれば、実は日本政府はこのような資金提供の仕組みを持っている。これまでも色々な例で協力している。多いのは地方の小学校建設整備や地元のプライマリーヘルスケアのためのクリニック整備だが言って頂ければ私たちは積極的に検討したいと思っている。

黒田:

 人間の安全保障は国家の発展にとっても不可欠。コンセプトは発展途上、内容もこれから考えていくべきものという話と認識している。

王名:

 中国のエイズ問題を実例としてNGOからのアプローチについて3つの問題を取り上げ進めていきたい。
まず、中国のエイズの現状を簡単に説明する。最初に1998年にエイズが発生した時の略図、その時は上海、浙江省だけエイズが発生した。それから10年後、こんな図になった。大多数の地域にエイズが発生した。98年になると大陸全ての地域で発生した。データからいうと、最初は1985年のときに1年に5例、2004年になると全国で3万近くなっている。2006年になると7万、去年は18万。暴発的に増加している。これは地域毎の分布図。これを見て分かるように雲南、華南、江西省が中心だが全体に広がっている。感染源から見る基本的ルート。
この3年間政府はいろいろ努力している。特に政府財政からお金を払っている。1985年にエイズの特別予算は2000万元、去年は20億元になった。爆発的に増加した。国際社会からもたくさん援助してもらっている。全国的なシステムつくりも努力している。
エイズ分野でNGOはそもそも活動していなかったが、ここ5年くらい活発になっている。海外からもたくさん入ってきている。たくさんの努力をしているがたくさん問題が残っている。多くの感染者はまだ現れていない。エイズの問題は、中国にとっては社会問題になりつつある。NGOはどのような努力をしているかというと、去年1年かけて行った、全国13省での調査の状況を説明する。基本的調査方法はアンケート。NGOのほとんどは登録されていない。調査はなかなか難しく、現場に行かなくてはならない。NGOを探し出さなくてはならない。NGOと接しインタビューした。
これは調査対象の分布図の略図、集中している省を中心に調査を展開した。NGOの活躍分野だが、教育、アドボカシー、そして感染者に対するサービスを中心に活動を展開している。サービス対象は主に感染者、可能性の大きいグループ、人々中心にサービスを展開している。活動範囲からいうと、一番多いのは、省内で活動しているグループが多い。コミュニティーレベルでは逆に活動は少ない。全国レベルで活動している団体も少ない。登録は基本的に2つの方法がある。NPO登録と企業登録。NPOは社会団体とみんばん非企業団体に分けている全体の3分の1。残りは企業登録している。半分以上は登録していない。

 活動資金は基本的に海外に依存している。1団体あたりの活動資金は低い。人的資源も少ない。1組織あたりの年間の支出額はわずか5万元。まだとても少ない。スタッフの学歴は中卒が中心。基本的にHIV分野で3種類のNGO団体がある。その中で、人的資源、技術的優位、組織の成熟度をみると海外のグループが優位な立場に立っている。厳しい状況に置かれているのが草の根NGO。実際に現場にいる。

 役割を更に果たすためにどんなアプローチがいいかというと8つの提案を取りあげる。1つは草の根レベルの努力。HIVの問題を解決するために草の根レベルで努力しなくてはならない。まず感染者を探し出さなくてはならない。中国では感染者の8割が発見されていない。中国政府の予測では65万の感染者がいると言われているが、実際の報告は18万、国際機関の予測では100万から150万人。およそ8割の感染者が発見されていない。政府がいくら努力しても効果が上がらない。NGOが草の根レベルの努力は必要。感染者への救済、技術支援も重要。NGO自身のカペシティ・ビルディングも重要。調査では、現場で活躍しているNGOはまだ基本的な知識が不足している。専門的知識不足。3番目はネットワーク作り。NGO同士、NGOと他の分野のNGOとの協力関係が出来ていない。あとは法環境の整備。NGOの半分は法的地位がない。規正法に問題があるため。新しい法律作らなくてはならない。政府のNGOへの支援体制を作らなくてはならない。それから、政府がNGOに対する支援隊施を作らなくてはならない。政府は20億源出しているが、予算のほとんどが感染者まで渡っていない。ほとんどNGOの口座に残っている。これは大きな問題。国際社会からもエイズ分野に資金出しているが感染者まで亘っていない。なぜならまだ感染者とコミュニケーションをとれるルートができていない。NGOが政府に対する協力体制もできていない。政府に対する不信感が強い。エイズ倫理の問題もある。一般社会の不安感。倫理的問題、社会的な体制問題、医学的な努力、これも必要。ハード面の努力が必要。

黒田:

 草の根レベルの努力や、NGOのキャパシティー、ネットワークの整備は、他の分野でも重要なのだと感じた。

阿古:

 農村プロジェクトの経験を踏まえながら、人間の安全保障を考えていきたい。

 社会での人間の行動を促すことを考えたときに、コミュニティーの記憶がひとつの重要なポイントとなるのではないかと思う。実際に何かというと、例えば社会での活動、一緒に作り出したもの、一般の人たちが作ってきたものが関係するのではないかと思う。記憶を共有、蓄積していくことでコミュニティーが発展していく。悪い場合もあると思うが、色々役割を果たすと思う。コミュニティーも地域社会もあるし、時間共有ということも考えられる。これは単純化した図式だが、記憶が社会発展のために果たしていく役割を考えた時に、プラスに働く場合は、Bである。持続可能な発展がうまく進むとか、いろんな村おこし町づくりなど、良い形でみんなが積極的参加するような形で進んでいく。悪い場合は、戦争の時などいろんな記憶が共有しているが、個人の主体性が尊重されず、全体主義の雰囲気の中で構築されていく。それが結果的に破壊的な行為が起こる。Cの場合、今回の農村のケースだが、社会に無関心になっていく。消極的な態度を示す人が増えていく。コミュニティーの中でシェアするものがなかなか作れない、作っていったとしても蓄積していかないケース。中国農村のケースで多く見られるケースではないかと思う。中国の状況を見ていくと、共和国ができる前は家族の文化が広く生きていた。相互扶助、役割ができていた。共和国ができた後、集団で農業を進めていき、国家が社会の中で中心的役割を果たした。人々は物質的、精神的に国家に頼る部分が多かった。しかし、改革開放政策が始まってから大きく変化した。大きな存在だった国家がなくなっていった。特に農村では人民公社という集団で行われていたものが、欠落し、大きく社会的な空白ができた。権力基盤も不安定になっていく中で、中国で問題が起こっているのは空白の中で不正、腐敗が起こった。農民は自分たちで資金を集め使い方も決めなくてはならなかったが、そのお金が流用されたり、収入が少ない農民からどんどん取っていくというような状況があった。

 私がここ4年くらい調査している湖北省では、最も貧しいというより中ぐらいのレベルの農村だが、この地域の経済は苦しくはないが、実際にここで外務省の人間の安全保障の無償資金協力をしている。お金があったら良くなるかというとそうではなく、お金をどう使うかをこの村で議論したらなかなか決まらず、ある村は流用されていたというか違う用途に使われていた。老人の自殺問題も深刻化している。一人っ子政策が成功しているがみんな出稼ぎに出ていて家族ばらばらになってしまった。離婚、不倫問題も多い。みんな悩んでいる。村の中に家を建てようとすることが少ない。中心部に移りたいということで村が廃れている。土地を守る意識も低い。そういう中で地域の統治能力も弱くなっている。インフラシステムも維持できなくなっている。農業灌漑の問題も出ている。100万元以上の負債を抱えている村もたくさんある。なぜかというと腐敗があって村の幹部が流用していたり、税金を払わない人も多く、その税金の分を上納しなくてはならず、その分どこかから借金をする。その分赤字も膨らむ、そうなると村の公共事業もできなくなるなど悪循環になっている。村のたくさんの子供も学校に行っていないという状況。

 ここで見ていくのは、農業感慨の問題だが、写真を見たら分かるがこれは毛沢東時代1970年代に作られた灌漑施設。ぼろぼろになっている。右側のポンプ状のものは運営すればすごく広い面積の農業感慨が可能になるが、それぞれの家で井戸を掘ってそれを利用している。みんなでお金を出し合って協力しようとしない。あの人が出さないから出さない、自分が損するという悪循環になっている。折角良いポンプがあるのに使わず、結果、それぞれ井戸を掘っている。掘れば掘るほど水がなくなって掘っても出てこない、地下に掘らなくてはならないという悪循環。ビニールの長いホースで田圃まで水を引いている状況。

 右上のものはすいりの感慨の壊れている部分を直す為の建築資材が盗まれるから監視している。雨が降りすぎて自分の田圃から水を出すために勝手に道路に穴を掘っている。車が通れない問題もあった。プロジェクトではみんなで問題を解決しようという文化が作れなかったので、2年目の人間安全保障をやったときに老人協会という老人が集まり活動するセンターを作った。それも使われなくなった設備を改築して小さい規模のお金で作った。結果、たくさんの人が集まるようになり、地域の問題を議論するようになった。役に立たないと思っていた老人、ゴミを拾ったり、1人で住んでいる老人を訪問したり、出稼ぎで出ている若い人からお金を集め、病気の老人にお金をあげようなど自立的活動見られるようになった。しかし、問題があった。写真を比べて何が違うか分かるか?この村の役場はぼろぼろで、汚くて誰も使いたがらない。ここの老人センターは皆きちんと維持・管理して活動も活発で、人も集まってくるので、役場の人たちも使いたがった。役場が勝手にパネルをかけた。それはやめてくれと言ったが。村人たちの自立的活動に村人たちも影響を受けた。干渉するという悪い面もあるが。これは老人協会での踊りをやったり、嫁姑の問題を劇にしたりした。

 私が提言できることは、小さい規模のことだが、コミュニティーの記憶、1人1人が社会とどうかかわっていくのかということを考えていくことが大事であり、メディアを使って促進することも出来るし、活動を組織することもできるし、教育も大事。アジアでは共通の記憶、シェアできるものは何かということを考えることをやっていきたい。ハードでもソフトでも。これからそういうことをしていきたい。

徐:

 私のタイトルは北朝鮮での人間安全保障を高める、多角的なアプローチということである。十分な準備をしていなかった。次の機会によりよい準備をしておきたい。

 ヤン先生が今朝、人権について話した。人権問題は重要で深刻な問題だということだと思う。北朝鮮の人権問題を考えてもらいたい。非常に深刻になっている。朝鮮半島の問題である。南北だけではなくアジア地域でも問題になる。アジアの人間安全保障問題と捉えるべき。多国間のアプローチが必要だと思う。アメリカ、中国、日本などは北の人権に対し懸念しているが、個々の努力だけでは対応できないと考える。この発表の中で言いたいのは、アジア人権レジームを設立するということである。それは個々の国ではできない。やはり国民国家間の協力が必要。その中で非政府主体にも参加してもらって、多角間の形で造りことが重要。NGO、市民社会の役割は人権問題では非常に重要であると考える。そういう訳で、なんとかして協力的なネットワークを色々なアクター間で作るのが必要である。

 多くの発表者が既に人間安全保障の概念について話をしたので私から話す必要はないと思う。しかし、ペーパーの最後のところで現実的で眼に見える計画が必要であると、その為には東アジアで人権レジーム作るのが必要であり、東アジアの人権を良くする為にの強力なネットワークが必要、その努力の為にインテリの協力が必要である。それによりメタガバナンスが必要、後で説明する。東アジアでの複数レベルでのアクターを調整することが必要である。国家、国際組織、NGO、個人など多国間のアクターをまとめるためにメタガバナンスが必要。

 それでは北朝鮮の人権について話したい。90年代以降、北朝鮮は国際的な人権基準が必要と感じ、選択的な形で人権条約、人権フォーラムに参加した。色々な国際組織、NGOとも接触し、人権に関わる法律を修正したり設定したりした。アムネスティーインターナショナルは、95年に北を訪問することを許されている。EUとも人権問題を話した。2001年6月に始めてEUと会合を持っている。しかしながら人権保護について国際努力は進んでいるが、我々から見ると北の人権の状態は改善されていない。皆さんご存知の通り非常に厳しい人権侵害がある。軍部、治安機関が北朝鮮で人権を蹂躙している。非常に厳しい食糧不足でたくさんの人が飢えている。農業政策が失敗した、そして95年から97年に飢饉が発生し、更に食料不足が深刻化した。報告によると100万から200万の人、これは総人口の10%になるが栄養失調で死んだそうだ。2004年の報告によると4800人の子供たち、6歳以下の子供たちの内23%が体重が足りず、37%が栄養失調、7%が過度に栄養不足である。10万から40万人が脱北したと言われているが、ほとんどが中国に出ているが、東南アジアにも逃げている。これが直接、人間安全保障に脅威を与えている。というのは、国境越えた保険の問題もあるし、不安定も起こす。対決的な雰囲気を作るかもしれないので脱北問題は非常に大きい。北の人権問題は、国内問題である。後続的でシステマティックな問題であるからであるが、内部的な問題を外部の努力なしに解決することはできない。この問題をシステマティックに解決しない限り、北の人権問題は致命的な問題を韓国のみならず東アジア諸国に起こすことになるだろう。したがって北で人間安全保障を高める必要がある。そのためには国家間のアプローチが必要である。そのためにも地域の人権レジーム、それから協力的なネットワークを作ることが必要だと思う。アジアでなぜ人権レジームが必要なのか。国際的人権レジームは現在世界に存在している。たとえば、ヨーロッパでの地域的人権レジームをつくることは、ヘルシンキプロセスに入っている。そして、これが冷戦後のヨーロッパの安定と平和に貢献した。

 南米での人権レジームも政治的な安定と平和に貢献しているし、人権状況も良くなってきている。アフリカでさえも地域に人権レジームを作ろうという努力をしている。しかしながら、普遍的な人権に関する概念の解釈が国家によって違う。また地域でも権威主義的な伝統もある。東アジアでは国際的な人権レジームは存在していない。

 北朝鮮の人権侵害の厳しさ、そして東アジア世界への平和への脅威を考えると、北の人権問題こそが東アジアの人権レジームを実現するための第一歩になる。東アジアでは人権レジームがない、そして十分な海外からの介入もない。人権の問題を解決し、さらに北の人間安全保障を高めるためには、人権レジームのグローバルな状態を見て多国間、多層的な解決策を持つことが必要である。それにより東アジアの人権レジームを作ることが出来る。それぞれの国が北の人権問題についてどう取り組むというかはヤン先生が説明してくれた。人権法がアメリカで採択され昨年始めて北の難民として脱北者を受け入れた、しかし努力しても成果が上がっていない。なぜならアメリカの動機が政治的だと思われているからだ。日本の人権に対する関心は北による拉致問題であり、日本国民を救うことに重きを置いている。それぞれの個々の努力にも関わらず、多くのことが出来ないので多国間の取り組みが必要と言いたい。

 多国間の取り組みとは、政府、政府間、そしてNGOのレベルで多くの努力が行われている。それで人間の安全保障を高めようとしている。しかし、それぞれの主体にはそれぞれ限界がある。さらに努力して人間安全保障の討議を行い、多国的なアプローチで人権レジームを作ることが重要である。他国的、多層的アプローチするためには、いろいろなレベルでのアプローチを考えることが必要。4つのレベルで考えることが必要である。まずは国連の役割。国連こそが国際組織で国家の間の組織とある。1つはトラック1は政府間のアプローチである。トラック2のアプローチ、これは政府以外の、政府ではない形での非公式外交である。トラック3はNGOが中心である。それぞれのレベルが重要。その中でNGO、市民社会の役割が重要だと考える。トラック1では色々問題があり、実質的討議ができない。政府間ではなかなか出来ない。なぜなら東アジア諸国が100%人権の問題から自由ではない。人権問題について対話をやりたがらないというところがある。だからこそNGOの役割が重要である。NGOが増えているという話があったが、人権問題についてのNGOも増え、役割も大きくなっている。基準作りなどをNGOがやることが大変重要。トラック3ということNGO、国際組織と政府と協力してやることができると思う。これによりこの問題解決の為に新しいものの考え方を導入することが出来るだろう。

 アムネスティーインターナショナルの報告は国際メディアでも広く使われている。この報告書は大変信頼性のある報告だと考えられている。また国連の人権侵害についてもNGOが国連に報告している。条約つくりにもかかわっている。NGOが、国が出来ないところの役割を果たすことが出来ると思う。

 次にガバナンスの問題。いろいろな主体の努力は必要。人間安全保障の脅威を査定することができるが、しかしこれらの色々な主体の協力を確保するのが難しい。だから解決策としてガバナンスのニーズを把握することだと思う。グローバリゼーションが進み、そして国家の持つ伝統的主権が弱くなっていて、非国家主体に力が移行している。ガバナンスは厳しいヒエラルキーに基づいていた。覇権国家が中心だったが、非国家主体が出てきていてガバナンスは水平的自立的システムと変わってきている。国民国家と非政府主体の役割は人間安全保障を高める上で非常に重要だと考えている。多種多様な主体がネットワークを作るのはどうか?新しいガバナンス、すなわちメタガバナンスを作ることによりネットワーク内での個々の主体のパフォーマンスを調整することが必要だと思う。北の安全保障の脅威は東アジアで人権レジームを作ることですべてに役に立つと思う。多国間のアクターをひとつのレジームにまとめるのは大変なのはわかっている。したがって学者、インテリが多国間だけではなく多層的な調整することが重要である。

チャンタナ:

 南タイにおいて色々な暴力問題があって取り組んでいる。しかしこの問題は時間があれば取り上げたいと思う。

 アジアのヒューマンコミュニティーとはひとつの手段であり、より良いアジアを作ることに繋がると思う。より良い社会を手にしようということだと思う。そこで考えているのは、既存の地域の統合は安全保障、貿易などに基づいているが、これは国民の生活に合致していないので、ですから全体を包括する別のシューマを考えなくてはならない。人間の安全保障はいろいろな人の生活をカバーしなくてはならない。私の提案は、3つある。短くまとめる。提案はいくつかの過程に基づいているのでそれに沿って話したい。

 新しい脅威というのが出ているが、相互に関連している。国の災害をいっているが、これは気候変動から来ている天災もあり、それが貧困を増徴している。人権侵害、経済、環境の利害もあると思う。また問題ですが、国家の安全保障、テロに対する戦争があるが、実際には人間の安全保障が働いていないということ。それはテロで効率化されていない、日常に密接につながっているところもある。国家を超えた問題だと考えることができる。これはひとつの国だけで解決するにはハードルが高い。共通のアジェンダが必要。また、私たちが学んだことだが、多くの発言はどう取り組んできたかということを話しているが、それは系統的でない。それらは私たちの考え方、生き方にどう影響するかということには触れていない。行動を示しているだけ。強調したいのはいくつかのイニシアチブがあるが、タイでは、枠組みとして伝統的な安全保障の考え方を持ち、国家の関心が中心である。

 そこから離れてもっとアジア的なヒューマンコミュニティーに近づく為にはいくつかやらなくてはならないことが3つある。まず最初にヒューマンコミュニティーというのは進行中で、最終版がない。まず提案したいのは、最初に考え方を考えなくてはならない。それによって1つの考え方として人間の安全保障の対話の設置ということ。例えば、南タイでは暴力がある。何かを示唆している。既存のアプローチは国家の安全保障という形である、つまり問題解決は国家、当局によって任せる。そして首謀者とか、犯罪者、疑いがある人を取り上げる。また実際には軍事、かつ関係者の動きを待っているということになる。構成が図られることを期待している。それはここでは多様性の尊重につながる、また経済的公平が行われなくてはならない。完全意異なった枠組みでこれは明らかになっている。軍事クーデターがあったので現在の中間的の政権においては、非暴力的なアプローチを取りたいということだ。つまり国家の機関はいまでも伝統的な安全保障のやり方で動いている。したがって実践的なレベルでもって変えるのも難しい。したがって南の暴力問題の解決を考えるのは、国家の安全保障の考え方のもとになるということ。しかし考え方をどう変えれば良いのか?最初だが、人間の安全保障が国家の安全保障の考え方と関係ないということ。つながりあるけど。そしてテロの脅威を考えなくてはならない。国家の安全安定という観点から見なくてはならない。国民はテロ防止ということに対し、911で5000人以上が死んだ。しかし貧困でたくさんの人がホームレスになり、HIVなどで死んでしまう。多くが地震、津波、洪水や気候変動などでたくさんの人が命を落とす。こうしたことを明らかにし、メッセージを伝えなくてはならない。私たちはさらに厳しい脅威にさらされているということ。新しい安全保障の意味を再度定義づける新しい言語が必要かもしれない。ヒューマンセキュリティーという以外の言葉を探さなくてはならないかもしれない。それではいかにして違ったこと、人の命にどういった影響を与えてきたことの説明をしなくてはならない。言葉を捜さなくてはならない。その言葉を伝えていくことになる、そして考え方を変えていけると思う。対話についてはコミュニケーションが必要。常に必要だ。古いパラダイムに挑戦し、新しい意味づけを安全保障について示さなくてはならない。つまりヒューマンセキュリティーという意味が一般の人において不変でなくてはならない。政策についての集まって話すということが出来ると思う。再方向付けが地域的側面を持って実現されなくてはならない。メコン地域の人身売買が言われたが、トラフィッキングのハブがタイであり、人々の考え方も変わっていない。国に厳禁が流れ込み人権侵害を認めてしまう。政策として基本的な実践を変えていく、この地域でしなくてはならない。

 3つめの提案としては、社会的な学習を送出し進め、社会資本を育てる。社会的な学習は重要で、すでに行われているが、しかし知識人として十分学んでいないと思う。何が可及的問題かということに眼を向けなくてはならない。3つの段階、例えば考え方を変える、それから政策の方向転換の場を設ける、社会学習のきじょの設置は需要。知識と情報、政治的空間の場は重要である。アドボカシーは強力なベースなくして出来ない。

 だから将来のアジアのコミュをつくるということは重要な知識、国家的な政治的な場を、地域的なレピュディーで求めるのが重要だ。

黒田:

質疑応答どうぞ

参加者:

 政府はNGOに対し信頼をあまり持っていないという言葉があったが、王先生はどのような努力をしたらいいかと考えるか?

参加者:

 王先生に質問。HIVについてだが、政府はNGOに対して信頼していないという言葉があったが、NGOは不信感を取り除く為にはどのような努力をしたら良いかと思うか?

参加者:

 鶴岡さんに質問。日本政府は一方で援助し、企業が一方で奪っている。政府の規制は必要だと考える。日本はアジアの木材を大量消費している。経験から言うが、不法ではないが日本企業は不誠実な仕事をしているといえると思う。カリマンタンやミャンマー等ローカルの事業場の利益からすんでいることを追われる。その結果生活の糧も奪われる。木材が伐採されるから。政府としてどう考えているのか?

参加者:

 ウンゲオさんに質問。知的なスペースをつくり、人間の安全保障のアジェンダを前進させていくといっていたが、パラダイムの重要な1つはボトムアップだと思う。日本政府のスタンスについてどう考えるか?日本政府はファシリテータのような役割をしている。政府が関わっているということについてどう思うか?それについて鶴岡さんにも聞きたい。

王:

 政府のほうからなぜNGOについて不信感があるかというと2つある。1つはほとんど登録していない。政府全体として把握できない、何をしているか見えないということ。2つめは2004年まで政府は政策として深刻化していることを認めていなかった。NGOがその問題をマスコミを通じてばらしてしまった。地方政府のほうがNGOに対し多少の不安感を持っている。それを解消するためにどうすればいいのかというと、基本的に地方政府はNGOの役割を認めているので、その活動で説得するのが第一。もう1つはNGOは政府とコミュニケーションをとらなくてはならないということ。声をかけるとか、政府も積極的に参加する。3つめは役割を政府に報告しなくてはならない。登録体制を変えてもらいたい。全体的に変えることはなかなか難しい。しかしエイズ分野で特別な措置をとってもらうことは可能だ。とくに草の根NGOは登録しなくてはならない。登録すると、法的地位がもらえる、政府の資金も国際的資金もNGOに入りやすい。登録を進めることは一つの提案だと思う。

チャンタナ:

 たぶん質問された方のほうが知っていると思う。日本の社会はよくわからないが、特に強調しておきたいのは、あくまでも貿易問題に焦点を当てるが、ODAとは一致していないと思う。なので日本政府に対して人間安全保障についてもっとプッシュしてほしいが、そうすると通商政策も変えなくてはならない。全体的な視点として盛り込んでほしい。タイの国民も、日本の国民もわからないで進んでいる。例えば産業廃棄物を貿易の見返りに受け入れているということが進んでいると思う。こういうことをしていると持続的な2国間良好関係が築けないと思う。かえって問題提起をしてしまったと思う。もちろんたくさんの選択肢があるが、民主的な空間に動いていくことができる。お互いに対する期待が、それは相互関係がゆっくりと作られるということだと思う。

鶴岡:

 最初の大きな課題だが、人間の安全保障の考え方を援助の基本ということでなくより広く日本の政策の考え方として活用するべきということだがまったく同感。日本のこれまでの発展を見ると個人を大事にして、その人々の能力を発展させてきたということを考えても我々が国際社会と関与していく上で踏まえていくべき基本の考え方だと思う。

 私自身は人間の安全保障の概念を広げていくことは、賛同する。固定した概念ではない。できるだけ多くの人が参加して発展させ、市民社会等が協力し共通の目標達成の概念になれば良いと思う。個人に対し積極的に活動し、社会の中で満足できるような状態を生み出していく。先ほどの提案はうれしく思う。それから通商政策の関連でいうと、日本政府がタイに有害物質を輸出している、コミットの見返りということで輸出しているということを私は知らない。それは条約違反であるから、有害廃棄物を輸出することは認められていない。また、民間企業がしていたら規制対象になる。これは国内の問題になる。ということでルールを徹底するということが大切になる。公式に交渉している中で参拝が国境を越えるなら驚きだ。日本政府がタイに対し強制するということを国会が認めるとは思わない。しかし今起きていることに対し誤解があるかもしないので確認したい。

 一点の要求、働きかけが日本に対しあるというのも事実である。すなわち中古品を出してほしいということはある。これは良かれであればやりたい。ODAの一環だが。たとえばイラクに対し、救急車を提供すると。その時中古のほうが安いからいいという話があった。しかし、故障したらまずいとあったが、この場合新品のものしかもイラクの国状に合わせたものを出そうということがあった。これに関しては消極的、中古のほうは品質が心配。品質管理も難しい。ここはバランスがもとめられるところ。北朝鮮のことが出てきたが、放置自転車が北朝鮮に送られているが今ではそれすらも禁止されている。30年前を振り返ると、日本の総合商社を非難するのは安いものを途上国で買いあさり、安い建築資材で立てていることを非難されていた。いろんなものをいろんな国から調達、輸入することを促進してきた。強みを組み合わせた事業ということだ。材木というのは、ユニークなので。総合商社が悪用して、国家やコミュニティーに対して強制することは不可能だ。ここ10年日本は努力している。不法伐採に気をつけている。ひとつは温室ガスの問題。熱帯雨林を守っていかなくてはならない。破壊するだけではなく、ガスでもマイナスだ。もうひとつは木材を管理しないと日本の木材市場が打撃を受ける。日本の林業界としては日本経済としてこれを使いたいといっている。また山林はきちんと管理をしていかなくてはならない。というのも人が少ない、それでいて山が急峻であるということから大変。住宅業界に関して、熱帯映倫に関して国際機関が横浜に本部がある。日本はユーザー国としてファンドに投資している。輸出国側、ITTOという組織だが、今、ルール作りをしていて、これが尊重されることを当然期待している。熱帯雨林に関してルールをきちんとするのは大変だ。またシベリアの森林問題がある。ロシア政府に管理してもらいたいということをお願いしている。ツンドラが消滅している。これは日本企業がしているのではなく、ロシアの地元の人がしている。的外れな批判はやめてもらいたいと思う。

セッション3

司会:天児慧(早稲田大学)

パネラー:孫歌(中国社会科学院) キムベン・ファー(早稲田大学アジア研究機構) テレンス・ゴメス(国連社会開発研究所) 李起豪(韓国聖公会大学) 多賀秀敏(早稲田大学)

天児:

 今回のシンポジウムでこのパネリストを選んだことに関してはパーフェクトな成果があがった。立派なかたがたに来ていただき満足している。ただ聴衆の方が少ないのが残念。ちょうど早稲田大学入試の時期で現役の学生は大学から排除されているからです。遠くからわざわざ来ていただいているゲストの皆様にはお詫び押したい。

 このファイナルセッションの狙いはアジアにおいて政府、現体制と言う問題、もう一つは市民社会の未成熟、それぞれ住んでいるところの自立性・主体性という問題に対する知識人の役割を考えるということ。知識人とか大学関係者あるいは様々な問題に対する専門家の役割を少し議論してみたい。役割は何かと言うダイレクトなことでなく、知識人を巡ってパネリストの先生方がアジアをどう認識して、アジアの様々な側面を我々がどういうスタンスで考えるのが大事なのかを一度しっかりと議論したいと言うことでこのセッションを設定した。今までの人間の安全保障という広い枠ではあるが、違った視点から最後のパネルを進めてゆきたい。フリーなトークをしていただき、フロア―からの質問に答えるだけでなくインターディベートもしたい。そのためプレゼンテーション時間を少なめにしていただきたい。孫歌先生からお願いします。

孫歌:

 このような場を提供して下さった天児先生にお礼を申し上げる。ご好意にこたえるべく私も率直にお話したい。二点についてお話します。一点はここで扱われる知識人とは一体どういう人種なのか。第二はこのような知識人はどういう社会的役割をはたせるか。先ず第一点、知識人といえばいろんなイメージが浮かぶが、私の分類では三種類に分けられる。先ず研究者として、職業人として、知的商品を売り出す人種。二番目はごく少数だが、今回のメンバーにも少数だが含まれている政府の政策にかかわる能力を持った人。三番目は批判的知識人といわれる人々。日本で言えば60年代安保闘争までのオピニオンリーダーを演じられた知識人のある意味での黄金時代もあったがこの時期はとっくに過ぎた。私たちはオピニオンリーダーとして今日のグローバルゼイションのもとで動いている大衆社会を動かすことは出来なくなった。これを先ず認めなければならない。二番目、三番目の知識人の役割を過大視しがちである。特に二番目の政府のアドバイザーとして活躍する人の役割。政策が変わればアドバイザーが役に立ったという思考傾向がある。本当にそうなのか。政治過程についての理解とも係わってくる。結論を言えばアドバイザーをつとめる知識人さえもオピニオンリーダーにはならないし、政治過程を左右することも出来ない。換言すれば過大視してはいけない。三番目の批判的知識人の役割は、実際に社会的活動を起す人もいれば、ただ言葉の勝負をしている人もいる。社会的位置付けで考えれば、言葉によって社会を変えようとする意欲は認めなければならない。簡単にまとめると、今日知識人という言葉を使う時常にその限度を意識しなければ真実からあるいは歴史過程からかけ離れてしまう危険性が伴う。というのは、私たちは実は最も安全な人種でもあります。例えばビジネスマンは東アジア社会は変動すれば敏感にそれに応じて変動しなければならない。そうでなければ倒産の危険性がある。でも知識人は一応生活の場をきちんと持っていて、自分の言葉によって社会を動かすことは実際にはそれほど可能なわけではないので、歴史とは関係なく生きてゆくという可能性も大きい。ですから今日のような危険な時代において最も安全な人種の一つは知識人です。これは自分を戒める意図から発したメッセージでもある。そういう状況認識を踏まえて私たちはどういう仕事をすればこの社会にコミットできるか、社会的な責任を果たせるか。勿論私たちはこの場で世界情勢を自由に議論できるし、深刻な社会問題を扱うことも出来る。だがそれはイコール現実に入ることではない。私たちの本当の役割は現実を改善すると言うより認識論を清算するところにある。認識論を清算すること自体は実践につながらないかも知れない。だが、客観的な物事はこの世の中には存在しない。意識論によって見えてくるものもあれば見えてこないものもある。認識論によって改善できることもありそうでないこともある。先ず、今日の知識人にとって大きな認識論の問題は何なのかを二点に分けて皆さんと議論したい。

 先ず一点、ペーパーの中でも何度も繰り返したことだが、冷戦構造は東アジアの中で既に崩壊した。それは一体どういうことか。これについての認識論の清算は追いついていない。冷戦構造が崩壊してそのまんまアメリカを中心とした西側の認識論を素直に認め、自分の現状認識に使っている。象徴的なことだが天安門事件の時に若い学生たちが中国の民主と自由というメッセージを発するためにアメリカの自由の女神像を担いでデモをした。話によれば、韓国の方々はこういう一つの場面によって中国の天安門事件の本当の民主性に疑問をもった。こういう人たちは本当に民主主義について分かるかなと。このイメージは今日の中国の知的生産の主流の象徴として今でも通用すると思う。素直にアメリカの模倣をしているわけではないし、アメリカの言いなりになって中国の知的生産をするわけでもない。私がここで言いたいのは深刻な潜在的な思考様式のことだ。今日度々出された人権問題についてこれをどう扱うかは自明の問題ではない。中国には人権問題があるかと言われれば勿論ある。深刻な人権問題が存在する。では人権問題から中国の問題に入れるかと言うと、おそらく入れないだろう。なぜかというと人権問題は孤立した問題ではなく、歴史的な文脈があって初めて意味を持つから。だから次の疑問は出さなければならない。中国の人権問題を議論する前に、人権問題を作り出したのは誰かを議論しなければならない。人権問題が存在するのは中国だけなのか。アメリカには人権問題存在しないのか。他の民主自由の国には存在しないのか。そうして初めて人権問題を議論することが出来る。それぞれの国の歴史的な文脈で、社会構造の中で人権問題の持っている意味が違う。あり方もそれぞれ違う。そういう手続きを踏まえないでいきなり中国の人権問題を出せば、私はそれは冷戦史の典型的なサンプルと言いたい。冷戦史という私たちの発想をコントロールする枠組みから自由にならなければアジアの知的連帯が本当の意味で作り出せない。

 第二点は誤解なしには伝えにくいことだ。客観的な分析という知的伝統は我々東アジアの知識界の中で最も欠如している。なぜかというと、冷戦によって東アジア、北東アジア東南アジアも含めて客観的に物事を見る習慣は育たなかった。常に固定化された価値判断で物事を観察する。優劣、序列でもって違う対象にたいして異なる立場を取る。その中で客観的分析と言う習慣を作るために、既に出来上がったキーワードを一度相対的に忘れなければならない。私たちが今使っている国内政治、国際政治に関する分析のキーワードは冷戦時代の遺産だ。それは東側にとっても西側にとっても今日においてはそれほど有効ではない。新しいキーワードはまだ作り出していない。中国の状況をどう見るかというと、例がたくさんある。人権の問題も、エイズの問題も、農村の問題も、そのすべてはどういうシステムの中で発生しているかという課題は中国人にとっても斬新な課題だ。中国は今激しく変わっている時期だ。色々な勢力の葛藤と争いが毎日のように進んで新しいバランスが出来古いバランスが壊れてゆく。こういう状況で固定化された概念で物事を把握することは難しい。中国を見るためには価値判断なしに見てみようと言う前提を持たなければならない。昔の遅れていて全体主義の国から一発で資本主義の国になって、非常に進んでいる部分も作られていると言う両極端な見方を崩して、混乱さは混乱さとしてじっと見つめると言う知的分析の習慣を作らねばならない。東アジアの原理は未だに我々にとって未知なものだと私は考える。その中で新しい発見をどうやって出来るかの問題は知識人の連帯やネットワーク作りの中で最も重要な課題になっていくだろうと期待している。

天児:

 ありがとうございました。このセッションの最初のプレゼンテーターとして大問題を我々に投げかけたと思う。非常に深い問題だと思う。現実をどう認識するか。そのために従来の既成概念を変えて新しい概念を作らねばならないという問題提起は大事なポイントと思う。すぐには解答はないがまさしくそのことを議論してゆかなければならない。次にキム・ベンファー先生に、今の孫歌先生に結びつけるような形でプレゼンテーションをお願いします。

キムベン:

 今、孫歌先生は知識人とインテリゲンチャの定義を区別なさろうとした。マレーシアでは私は子供の頃たくさん本を読んだが知識人とインテリゲンチャの差が分からなかった。シューテュフースン・アラタスという最近亡くなったマレーシアの学者がインテレクチュアルは考える人たち、インテリゲンチャは学位のある人と単純な分類をしている。それでいくとここにいる誰もが議論を出来るということで知識人といえる。さてそれでは一緒に何を分析するのか、討議をするのかだが、東京に来る前にどういう対話あるいは安全保障会議がこの地域で開かれているか調べてみた。日本国際交流センターのウエブサイト、山本正さんが長を務めていらっしゃるところだが、で調べたところカナダのヨーク大学が作った物が有った。ダイアログモニターと言うもので、アジアでは毎年平均171から172の会議が行なわれているということだ。今日やっていることはそれには入らない余剰と言うことになる。既に多くの人がアジアンコミュニティあるいはヒューマンセキュリティと言うことを論じている。国連の背景を持った人から言うと人間の安全保障はUNDPの94年の報告書に起源があると。その延長線上にあるのがヒューマンディベロプメントレポート 人間開発報告書 パキスタンの経済相マブ・ハクが書いたものがある。今議論していることは基本的に10年くらい続いているかあるいはその延長線上にある。人間の安全保障は直感的に我々に理解できるものだ。政府から脅威にさらされていると思う、すなわち政府が崩壊している、破綻していると言う時に直感的に当然のこととして人間の安全保障が損なわれていると言うことだ。国連では人間の安全保障はこうこうだと言っているが、そのこととは別に人間の安全保障はどうあるべきか皆わかっている。このコンセプトを拡大して皆さん一人一人を巻き込むものとして話したい。

 既にこの地域でどのような対話がなされているのか。アジア太平洋地域、カリフォルニア大学サンディエゴ校をはじめとして、韓国朝鮮半島の安定化を計ろうとしているトラック2−トラック1.75と呼ぶ人もいるが―韓国大学のチャンさんもおっしゃったとおりだ。アジアと言った時にはどういう危機であろうと、知識人、学者あるいは一般人として安全保障を体系的に秩序だって議論をしている。今日やっていることはその延長線上であると自問しなければならない。どうやって対話、国際シンポジウムの付加価値を生み出してゆくか。何をここから新たなものとして発信できるのか。一人一人が取り組まなければならない。人間の安全保障はイラン、アメリカ、日本との関係で影響を受けると言うことだけではなく、自分自身がどうかかわっているのかということだ。学者として申し上げると、学者の中にはアジア国際関係を構築しようとする人がいる。ここで言う国際関係とはこの地域でより整合性が出てきたアジアンウェイがある。アジアンチャーターになるものがゆくゆくは出てくると言われている。アジアの国際関係を整合性のある形で捉えることが出来ると言っている。多くの学者がそう見る一方で、そのフォーカスは傾向として国家の政策あるいは実践とに限られている。社会的にどういう影響があるのかという視点がない。ゴメスさんが昨日のワークショップでいった。我々は国の政策を見るのはうまいがアジア社会のそれぞれの特徴がどう変わってきているのかが捉えられていないと。パネリストとして真剣に考えてゆかなければならないのは、早稲田の会議に数年参加しているが相変わらず力点は国家が中心で、社会への影響、インパクトがあるのかということではない。何故それを見る必要があるかというと、東アジアコミュニティ構築が我々の目指すところだから。本当に社会が一緒になれるのかを考えるべきだ。

 もう一つ問題提起したい。ペーパーの83ページから91ページにかけて掲載されているが、知識人が地域の中でどういう役割をしているのかご存じない方に申し上げると、知識人は従来重要な役割を持ってきた。アジアを作ると言う意味で。我々多くはある幻想のもとにある。国家の体制が権威主義的であると。それはそうでしょう、多くの国が人権侵害をやっているのだから。だが、アジアの創造と言うことで見ると知識人や思想家と呼ばれる人たちは影響力を行使してきた。色々なアイディアや文言に貢献してきた。1千年前まで遡ってもいえることだ。我々がやっていることは別に新しいことではなく、一緒に反省し、一緒に考えてゆくことだ。日本の役割を見ると、大来佐武郎や山澤逸平が大きな貢献をしている。日本はアジアの形成に大きな貢献を果たした。トラック1、政府のトラックと言うことで考えると日本の外務省あるいは意思決定者も貢献してきた。例えば、中山太郎宮沢内閣外務大臣らは有益な貢献をしてきた。彼らこそがアセアンと言う地域に対して92年の閣僚会議後のミーティングで地域全体の利益を働きかけた。94年アセアンのメンバーは経済問題だけの議論でなくオープンに安全保障問題にも拡大し、ARFに拡大した。ARFは北朝鮮ですら参加できる。このように日本は影響力を行使してきし、有益な貢献を東アジアで果してきた。東アジアの統合化がシンクタンクや反政府的な研究所いわゆるブルーリボンイーストエイシャンスタディグループと言ったところで進んできた。こういったブルーリボンの審議会とか有識者からなる組織に依存してきた。そこに色々な提案をすると言う機能を求めてきた。そこが提案、決議をするのを期待してきた。東アジアコミュニティは今アイディアやネットワークが欠如している状態ではない。東アジア諸国の政府はこういう機関に依存する体質があり、そこが負の問題だ。いろいろな提案を見てもそうだ。以上が私の申し上げたかったことだ。

 もう一つ李さんに申し上げたい。このセッションの前に李さんと議論していたが、東アジアコミュニティは戦略的な意味があるという話をしていた。東アジアコミュニティが安全保障あるいは防衛の機能、例えば、日米同盟関係を一部取り込むことが出来るなら地域的な枠組みになる。そうすれば防衛費をそれぞれの国が負担する必要がなくなってくる。国防予算が減らせれば他に予算をまわせる。その意味で東アジアコミュニティとしても実際的な影響、プラスの影響、利益を得ることになる。皆さんそこを考えて欲しい。日米安保条約に代わりえるか。一部を担うことが出来るのか。それによってこの地域で安全保障、安心感を得ることできるかを考えて欲しい。

天児:

 どうもありがとうございます。現在の知識人の役割をポジティブに評価しながら、いかに新しいフレームを作り、アジアの連携を強めるために新しい知恵を、インテレクチュアルな部分を我々が活用してゆくかがポイントだろうとの指摘だ。

 ゴメス先生お願いする。ファー先生もご指摘の通り、アジアの変化を我々が十分に受け止めていない、把握していないと言う部分で最初の孫歌先生のご指摘と連携してくると思うが、そういう点を意識してプレゼンテ―ションをお願いする。

ゴメス:

 先ず天児先生にお礼を申し上げます。この会へご招待いただきありがとうございました。

 私は現実を知らなければいけないと言うこと、伝統的な社会の見方、新しい考え方について話したい。皆さんとちょっと違った観点から話すかもしれない。三つの問題を話したい。先ず歴史を戻って見ましょう。政治的理論がどうやって生れてきたか。そして今何をなすべきかをお話したい。二つ目の問題としては何故私たちは新しい研究アジェンダが必要かということだ。それは社会での変化が起きているからだ。特に話したいのは近代化理論だ。近代化理論は今日の議論には大変関心がある。1950年代60年代に近代化理論は出てきた。サミュエル・ハンチントンなどが出した。三つの概念を出している。開発と民主主義ということ。彼らの理論付けにより権威的な体制に対しアメリカの支持があった。というのは共産主義が蔓延する可能性があったから。近代化理論ついてはいくつかの基本的なことがある。途上国は権威主義的な組織が必要であると。それによって急速な経済成長があり、やがて民主主義の素地が生れると。社会やNGO、労働組合からの抵抗がないと。これによって政策を導入することが出来る。急速な経済成長が可能になる。三つ目の理論としては経済成長によって新しい中産階級が生れ、権威主義的支配に対する危機意識もなくなるだろうと。1980年代の初めに工業化されたアジアにおいてはまだ民主化されていなかった。発展したアジアで民主化の欠如をどう説明したらよいでしょう。そのときは文化が導入された。アジアの政治文化は集団的であり、個人ではないと。もう一つはアジア人たちにはコンセンサスが大事で、紛争は好まないと。このような提案がされたのは80年半ばで、97年通貨危機の後で民主主義が導入されるようになった。遅れていたフィリピンで、台湾で、韓国、タイなどで民主主義が導入された。そして中産階級が生れてきた。中産階級が変化の前進にあった。1980年代に色々な問題が起こり、97年の後でそれまで言われたアジアの文化という言いかたも嘘だと分かった。しかしこのような理論付けを考えると、新しい局面が近代化理論で生れてきた。ここでも権威主義的な政権に対して次のことが言われる。民主的な多民族国家で不平等があれば、特に富の分配がうまくいっていなければ、民族的なカオスになると。解決としては権威主義的な政権を維持しながらやがて民族間で平等がでてくるだろうと。不平等を解消するために政策が必要だ。例えばアファーマティブ アクションなどが必要といわれた。このような理論付けにも問題がある。民族的なナショナル・アイデンティティの難しさを理解していない。どうやってアイデンティティが変わるかも言っていない。社会が常に進化していることも認めていない。二つ目の問題と言うのはすべての中国の人たちは同じようなビジネスのやり方、アメリカにいっても、ヨーロッパに行ってもどこでも中国人は同じ商売のやり方をすると言うことで、どのような民族社会も均質であると、何処にいようと中国人は中国人、インド人はインド人で同じ行動を取ると、同じ文化的背景があるだろうという理論でこれも問題だ。政策の提言としてはコミュニティにターゲットを絞れといわれる。不平等のためにはコミュニティにターゲットを絞ることにも問題がある。エスニックなアイデンティティを強化してしまう。権威主義的なシステムをサポートする理論が出来ていて、エスニックなアイデンティティを強化しようとする。文明の衝突であるとか中華共和国とか、いつも理論付けが導入される。すべての中国人、すべてのインド人、すべての日本人、すべての韓国人はビジネスのやり方が同じであると、それぞれ特徴的なことがあるといっている。それだけではない。文化的な趨勢もある。例えば、家族的な仕事をするとか、信用組合的な仕事をするとか、自分の生れた国でなく民族的な出身が大事というような前提を持っている。このようなやり方は問題が起こる。アメリカ及びヨーロッパは今尚大陸であり、多くの移民を受け入れている大陸だ。ヨーロッパ、アメリカでは民族の移動がおこっているが、1930年代東南アジアでは移民がない。西洋のような形での移住、移民はない。この地域の民族的コミュニティを見ると、私たちは均質化されているが、均質化されているのではない民族コミュニティの非常に大きな違いがある。言語的にも宗教的にも違う。同じエスニコミュニティと言っても同じではない。もう一つは自分を民族的なマイノリティと見ている三世代四世代はインドや中国を祖国とは考えない。生れた国が祖国だ。アイデンティティは新世代では変わってきている。世代的な変化を強調しておきたい。これが理論付けの中には十分入っていない。これは何を意味するか。今やこれに反論をすべき時だ。インドのアシス・ナンディは面白い理論を出している。社会で物事がどう動いているかに注目している。多民族の都市だと毎日の生活をどう生きているかと言うこと。多民族国家でもいつも平和です。彼は相互依存性が人々の中にあるといっている。民族的に違っていることを知っているがお互い地域に住んでいる帰属意識がありバランスが取れていると。彼らを見る時に今こそ民族とか宗教的なコミュニティを均質化してはいけないといっている。大きな違いがあるのだということ。もう一人の研究者ロイダス・ブルベイガ―、ルーマニアの研究者だが、ここも多民族の都市だが彼女は一つの町に注目した。毎日の民族意識、エブリデイエスニシティが起こっていると言っている。彼らは政治家は民族的な形で見ているが、国家は人々を分断するような、多民族の間に楔を打つ政策を取っていると。ここで人権について話したい。人権については人間の安全保障の枠組みでやるべく議論されてきた。アメリカのやり方で言えば人権は不可分と言っているが、現実には国家レベルで行くと、その国の文脈の中で文化また人権と言うことが出てくる。もう一つは普遍主義者とリラティビストとう考えがある。後者は人権について解釈の余地があると考える。結論に行く。

 理論の構成が非常に大きい。理論の作り方によって結果がずいぶん違ってくる。だからこのようなフォーラムが必要だ。新しい研究が必要だ。社会で毎日何が起こっているかを理解することが大事だ。学者はもっと積極的な役割を果すべきだ。NGOとも協力すべき。ここにNGOの方が参加されているのはうれしい。NGOを通じて私たちの研究結果を伝播して欲しい。ありがとうございました。

天児:

 ありがとうございました。議論が繋がってきたと感じる。時間が許せばイントラディベートも出来そうだ。多賀さんが全体を貫く何かをしゃべらないといけないと考え始めているのではないか。その前に李さんにプレゼンテーションやっていただくが、昨日のワークショップで李さんはかなりラディカルな国家変革論というか、国そのものの意味を変えるとう非常にラディカルなお話をされた。多分それも触れると思う。李先生発言をどうぞよろしく。

李:

 勉強になる機会に参加させていただきありがとうございます。私のレジメは三つに分けている。一つは今まで知識人は何をやって何を失ったかと言うこと。これについて書いてきたがゴメス先生が話されたので止めて、二番目は何故アジアの知識人が動かないとだめかということ。三番目はアジアヒューマンコミュニティのために知識人の役割は何かということ。これらは読んで頂いて、天児先生ご指摘のように討論と言う形にしたほうがいいと思うので三人の方が発表したことに対するコメントと昨日申し上げたことを含めてお話したい。話したいことは二つある。一つは知識人の役割だ。これは簡単にいうと二つの役割がある。一つはあり方と一つは何をするかだ。孫歌先生は知識人の種類を三分類したが、私はクライアント知識人とパブリック知識人に二分類で説明する。知識人の役割は今朝も天児先生が強くおっしゃったが、我々が発信する力と我々が自分の言葉でキーワードを作って説明する。我々の説明責任だ。孫歌先生が韓国の民主主義、民主化に言及されたので、そのことを話してから国家の変化について話したい。今年で韓国が民主化されて20年になる。1987年の民主化運動時の民主主義は戦いながら得るものと考えた。戦うことには色々やり方がある。悲しみもある。民主主義は一気には得られない。20年たって振り返ると、民主化以後の民主主義をどう生かしてきたかを反省すべき。我々は何を変えたかを考える時、国家が人権に関し悪いことをいっぱいするので国家を変えなければだめだ。国家のやり方を変えるためには民主主義が必要だ。そう思って戦った。20年過ぎてそれを見たら、本当に韓国という国家が民主主義か疑問だ。一つ他の先生と違って申し上げたいのは、民主主義は市民社会を強化しながら国家も変化しなければだめだと思う。韓国の場合国家と言うものは、民主主義の前に勿論ナショナルセキュリティという軍備とか考えながら人々の安全を・・(聞き取り不能)・・したこともあるが政権安保にもっと使っている。国家安保、政権安保から人間の安保を守る国家を作りたい。今まで韓国での国家は近代国家とか民族国家という概念できたし、日本も同じように近代国家は富国強兵だった。強い国が本当に人間の安全保障が出来るか疑問だ。国家を変えることなく人間安保を東アジアで出来るか私は疑問を感じる。その意味で国家のあり方を変えてゆきたい。近代国家から市民国家、平和国家、緑の国家、統合国家というように国家のあり方を変えることが必要だ。良く考えれば国にも寿命がある。韓国は今年大統領選挙、来年総選挙がある。2008年中国にオリンピックがあるが、韓国は国家樹立60周年。60周年は人間では還暦。国家のあり方も生まれ変わることが必要だ。今年はロシア革命から90年たった。その前にソ連は崩壊した。国家に寿命があると考えると、国家がどのように生まれ変わらないと国家の役割が果せなくなるかを考えるべきだ。その意味で国家のことを考えてほしいことが一点。今日阿古先生が村の記憶という言葉を使ったが、私は未来への郷土の記憶という言葉を使いたい。記憶と夢はどう違うかというと夢はただ未来に向けるだけ。記憶は過去のことだが未来をどう作るかを一緒に考える共有できる記憶が必要だ。記憶を共有するには知識人が言葉として書いてくれないと出来ない。それが知識人の大きな役割だ。飛行機の中で日本映画を見たが。『明日への記憶』という映画で、自分が病気になって自分の未来がどうなるか分かって、自分の現在が未来の自分に繋がってゆくために一生懸命に頑張る映画だ。国家の寿命を考えて国家のことを考えるべきだ。今日天児先生がアジア人の考え方で、アジア人の言葉でなにかやるというのが今回目指したことの一つと思うが私も全く同感だ。なぜかというと、我々の発信があることが必要だが、我々の言葉で発信することは現場がないとだめだ。現場のある知識人になって欲しい。現場がないと中身がない。勉強の仕方も現場に足を延ばさないと難しい。我々がやったことを我々が見せる。申し上げたいのは生活としてのアジアが大事だということだ。我々が生きている生活の場がどう変化しているかを勉強すべきだ。そういう意味で今日HIV問題とか中国の農村の変化とか勉強になった。そのような現場からの知識が大事だ。知識人が本当に現場を作ることではないが、知識人が見た現場を知識人の言葉で表現が出来ると現場が生きてゆく。中国でHIVが何故こんなに拡がっているかというと村が崩壊しているからだ。だから現場に足を延ばして現場を生かすことが学問的にも重要だ。村の共同体が出来れば村の安全保障も出来る。我々が克服しなければならないことが二つある。一つは冷戦体制、一つは新自由主義のグローバリゼイションの広がりだ。孫歌さんと意見がちょっと違うが、私はアジアでまだ冷戦体制が崩壊したと思っていない。まだ残っている。北朝鮮が冷戦体制の形でやっている。韓国、日本、アメリカも同盟外交、アライアンスとは敵を想定したことだ。敵がなければ同盟は成立しない。そう考えると同盟による外交があることは冷戦体制がここに残っているということだ。敵を必要とする体制でなく、敵が無くとも良い体制をどう作るかを考えるべきだ。それが出来ないと人間の本当の安全は意味が無い。新自由主義の結果ぶつかっている課題はコマーシャリズムと思っている。先ほど申し上げた知識人のやり方もクライアント知識人、つまり弁護士のように対価を得て知識を売る知識人がどんどん増えている。韓国の民主主義をやっていた学者にも現れている。これをパブリックインタレクチュアルに戻す必要がある。コマーシャリズムだけでなくポピュラーリズムともつながっていることを考えて欲しい。新自由主義のもう一つの結果はアジアで問題になっている学者社会だ。先ほどミドルクラスのことをゴメス先生がおっしゃったが、私はミドルクラスが崩壊している、いろいろな意味で格差社会になっていると思う。地域格差だけでなく地域内格差が拡大している。これを乗り越えるためにはコミュニティを作らなければならない。そのため、徳、倫理、ディシプリンを作るのが知識人の課題だ。知識人は現場でコミュニティを考えながらみんなが共有できる表現、言葉を作って一緒にシェアリングして、未来を一緒に記憶できればアジアを作るのに役に立つ。時間なのでこれで終わります。

天児:

 時間を制約したが、中身のあるいいプレゼンテーションしていただいた。多賀さんがしゃべることがなくなってきているのではないかと。フロアの皆さんに質問の時間もとりたいが、最後に多賀さんどうぞ。

多賀:

 みんな天児先生にお礼を言っているが私は入試でこんな忙しい時期になんで引っ張り出すのかと苦情をいいたい。
 皆さんと私の間には大きな溝があるのではないか。なぜかというと、私自身が五足か六足の草鞋をはいていて早稲田大学の教授は世を偽る仮の姿で本来業務は他のところにある。今、李さんは研究者は現場を持たなければならないと言うのは誰が教えた言葉?

李:

 それは他の先生も教えてくれたと思うし、多賀先生にも教えてもらったと思う。

多賀:

 まさにそのことであって、既に20年近くなるが私は新潟に住んで東京に通っている。そこでNGOを作って現在ベトナム、ラオス、バングラディッシュで活動している。今日そのファンドレイジングのバザーを手伝ってくれた学生が弘前から何人か来ているのでびっくりした。李先生も何度かバザーを手伝いに何度かわざわざ来て下さった。そういう現場を押さえながらやっている。新潟県のNPO協会の代表理事もやっている。他の研究所もやっている。ダムを止める運動でNGO作ってある県で成功したこともある。実際にダムを作るのを止めたということもやっている。現場に立ちながらそれをフィードバックして平和学という学問を講じている。他にもたくさんあるがここで言うと差しさわりがあるので触れずに行く。先ほどから言われている役割は全国を貫いてみると、一つの言葉に集約されるのは、知識人というのは微細にその社会現象、ある国、ある社会に対して認識をもたなければならないということを皆さんがそれぞれ違う言葉で強調された。孫歌先生、キム先生、ゴメス先生、李先生皆同じことを強調されていた。それをアジアに展開する時に、ややこしい共通性という問題になるが、それがあるかないかということは、無いもの探しても見つからない。自明の理だ。無いことが証明されればそれがいいものなら作らなければならない。それはマテリアルがあって、アイディアがあって、シナリオがあって、作り方があって、ツールがあって、それで作ってゆく。それを人々が消費してゆく。だめなら廃棄する。それがこれから求められる知識人の役割の大きな部分だ。私のレジメの一番目は無視して結構だ。ただ20年前1987年から言っているが、社会、あるいはアイデンティティを考えるうえで、エモ―ショナルのものと、ファンクショナルなものと、イシューオリエンテッドなるものは分けなければいけない。それを強調している。この三点の区分は重要だ。NGOもしている立場から、私が創設したNGOが新潟に日本国際ボランティアセンター代表の谷山さんをお呼びしてしまって谷山さんがここに参加できなかった。今日みんなが言っていたことと同じことを昨日谷山さんがとても強調していた。冷戦後の熱い戦争の連鎖から人々の憎悪が生れてくる。もう一つ静かな戦争が進んでいる。例えば、タイ、ラオス、カンボジアで見ると、土地なし農民がものすごく増加していることを昨日谷山さんはデータで示してくれた。これを人間の安保でなく国家安保で乗り切ろうとしているのが現状だという話を彼がしてくれて非常に印象に残った。それは二番目のところに書いてあることとだが、あと昨日印象に残ったことを書いた。三番目に皆さんが言った理論的なことより、私はむしろ具体的な提案をしたい。そこに具体的な提言を書いてある。ここをご覧になるといい。一番目の、現場との乖離を超克するためにNGOとの共同ということ、今、李先生も現場のことを強調されていた。王名先生にも非常に打つものがあった。次のところ、これは韓非子から引いた・・・・・・・・(資料訂正の説明があったが資料手元に無く省略)・・・・・・・。一つの提案というのは、危機あるいはクライシスに対するアラート、目覚まし時計のようなもの、あるいは核物理学者たちが作っている時計がある。核戦争まであと何分というもの。それと同じようなクライシスアラートを作り上げるのがアジアの知識人には求められている。危機に直面している人たちの情報を正確につかむことが大事だ。知識人の役割,ここにいる方皆語学の達人でいくらでも翻訳できる。しかも文化を背景にしながら、文化そのものを翻訳しながら伝えることが出来る。それで普遍性をもったアラートを作ることが今急がれている。例えばということでここにあげたがこれでやるということではないが、早稲田大学には私がかかわっている平和学研究所がある。ここを使えばクライシス情報を受け付けて、チェックして発信する機能が出来るのではないか。NGO同種同根だったら経験交流をコーディネートできるのではないか。紛争と平和の問題、多分早稲田大学の規模になればトラック2のラウンドテーブルを常に開くことが出来るのではないか。こういことを大学が果す、ここにくれば情報もあるし、研究者もいるし、場もあるというところを設定して、クライシスアラートに載る。クライシスアラートが例えば中国からきたら我々のネットワークの中でどなたか研究者で一番近い人に実際に現地で調べてもらう。これは確かだとなればアラートに載せる。それは日本語に訳され中国語に訳され、マレー語に訳され、インドネシア語、タイ語に訳されみんなが共有する。これを解決するにはどうしたらいいか。小さなラウンドテーブルを開くか。そこにみんなで行くか。そういうことは可能になる。これが大学人の役割だ。なぜかと言えば、呉青先生の言葉で記憶に残っているが EVERY SINGLE CITIZEN SPEAKS UP とおっしゃった。本当に単一の個人が言挙げしなければならない。言挙げということがアジアの社会において一番難しい。日本では相聞歌の中で言霊と一緒に言挙げと言う言葉が使われている。それがたやすく出来るようなシステムを作ることがクライシスアラートになる。これは原則を持たなければならない。中国語で理解しやすいように言うと、情報の一点集中、公平分配、早稲田なら早稲田に集中して分配するが、それは公平にしなければいけない。次にシステマティックなもので、自動化されていて、それと調整が必要だ。本当に事実かどうかを調べなければならない。これを保障しなければならない。最後にそれが恒常的なもの、常にあること。そうすれば皆安心してヒューマンセキュリティが上がってくる。現在も,かつても暴力に訴える人々の暴力を導き出す原因はそれ程変わりない。今南タイで暴動が起こっているが、かつては軍事的につぶすだけだったが、今はヒューマンセキュリティという概念が出てきたのは何かというと、何故あなたたちは暴力を使わなければならないかとその原因を各国で、みんなで取り除こうではないかというところまで我々はきた。人類が初めて。我々はそこまで進化したと強く感じたので今申し上げたようなことをやってゆこうではないか。ささやかな提言で皆さんおっしゃったことをカバーするようなことではないが、やってみる価値があるのではないか。知識人は何故こういうことをできるか、私は日本とか中国とかタイとか東アジアにあって全日制市民といえるのは多分大学の研究者くらいしかいない。その他の人は五時から市民とか季節市民で繁忙期があって田んぼが休みの時には市民になれるとか週末市民とか、市民活動をやっていると良く分かる。土日は来られるが木曜日には来られない。大学の先生はなんだか知らないが来ている。講義を休講にしたのか知らないが。そういうことが言える。大学の知識人において可能であろう。何故こんなこというかというと、さっき国家の問題を李先生も論じていたが、勝間先生がおっしゃったことは大事だ。なんでヒューマンセキュリティがでてきたか。国々を超えた問題がでてきているではないか。国の中が分裂しているじゃないか。格差もあるし。そういうところにあっては国境を越えた運動が大事だとおっしゃった。だからヒューマンセキュリティとい概念がでてきたじゃないかと。私は住民と市民と活動と運動を分けてマトリックスを作って四つの中でやってゆこうと、普遍性の問題と個別性の問題とそれから実際にアドヴォカシーだけのものと活動もやると分けて考える。そこに我々は対応してゆく道をつけてゆけばよいのではないか。

天児:

 ありがとうございます。ほとんど私が総括する必要もないし能力も無いが、このシンポジウムの方向性まで含めて語ってくれた。少し時間があるのでパネリストの間で、これはどう考えたらいいのかというような相手に投げたい問題を質問したい方いますか?あるいは今日の出てきた議論を補足したいという方いますか?

李:

 昨日やったこと一つ申し上げたい。昨日温先生がいったキャピタリズムとステートキャピタリズムの話、災害は何処から来るかとか、何故災害はアジアに多いかという話がでた。災害の原因の話があった。そこを強調したい。キャピタリズムの下にはキャピタルだけでなくモダニティということがあった。ナショナリズムとかモダナイゼイションとかグロバライゼイションとかキャピタリズムとか、ネオリベラリズムとかそれぞれが同じ物ではないがそれぞれ災害の一つの原因を生み出していることを強調したい。何故東アジアでうまく調節できないし災害にぶつかっているかが国内部でもそうだが東アジア全体が分裂している。それが東アジア全体でヒューマンセキュリティを考えることでもある。それを強調したかった。

天児:

 昨日の温先生の話は私も刺激を受けた。温先生は今日新聞社のインタビューを受けており、先生がここにいればもう少しクリアに議論していただこうと思うが、温先生おられないでしょう?

 それでは先ほどフロアで手を挙げた方どなたでしょう。どうぞ。

申:

 アジア太平洋研究科の申ともうします。孫歌先生に質問したい。今日のお話の中で認識論の清算が知識人の実践につながるので力を入れなければいけないと聞いたが、竹内好の問いの中で竹内好が頼ってきたのは言葉で表出されたカテゴリではなく、言葉がうまく表出できない歴史感覚のものにちがいないとおっしゃりながら、同じく竹内好の認識論を評価なさっていた。竹内好という問いの本の中で私は歴史感覚に先生がポイントを当てられたことを印象深く読んだ。理性ではなくむしろ感覚と表現されたことと、感覚的な言葉にうまく表現できないことを表現する知識人の役割は一体何なのか深く考えることになった。それに加えて、アジアにおける感覚の語りの難しさの中で、戦後、中国の・・・・(聞き取り不能)・・・・日本の歴史清算が出来なかったことによるナショナリズムの衝突があると思う。先生は歴史的な感覚から考えるときにアジアのナショナリズムの問題を新たなキーワードで示すものがあるか教えて欲しい。

天児:

 いくつか先に質問を受けましょう。はいどうぞ。

質問者(氏名不詳):

 質問が二つある。人間安全保障を地域的に生み出すためには東アジア共同体を作る必要があると思う。最初の質問は、東アジア共同体は現実性があるかそれとも夢物語か。現実性があるとすれば何をもって結合することが出来るか。ロシアは入らないと思うが中国、インドは入ると思う。どのようなファクターがあれば結合できるか。自由かそれとも他の要素があるかという質問だ。

天児:

 これは私が答えようという人がおられたら準備しておいて下さい。他にいかがですか。

質問者 石川:

 東アジアコミュニティに関連して、現場や歴史を見てくると、自分で環境を作って自己組織化するということを国際交流をしていると繰り返している。国際交流がNGOを産んで、NGOがテロを産んで、テロが防災というように、自己規制のような厳しい状態になっている。アジアコミュニティがグローバルゼイションの影響を受けてやってきているが、グローバルゼイション時代の終焉はあるか。テクノロジーによってクローンとかいろいろ出来てくる。そうすると、人間のアイデンティティ、人間中心が無くなる時代が来るかもしれない。グローバルゼイションが無くなるとアジアコミュニティもなくなるのか。あるいは内容を変えたものが出来てくるか。シナリオが考えられるのではないか伺いたい。

天児:

 難しいですね。誰か・・・振りますよ。

質問者:黒田(早稲田大学アジア太平洋研究科教授)

 多賀先生から話があった大学の役割について、キム先生と李先生にご意見伺いたい。多賀先生の意見大賛成だが、大学人だけが市民で24時間いられるということには反発を感じる。大学人の中には政府を代表するような人もいれば、市場経済を代表する人もいる。それが悪いのではなく大学は多用でいい、知識人も多用でいい、先ほどのクライアント知識人とパブリック知識人を言う話もあった。大学も商業化が進んでいるから多様性もある。大学はどんな役割を果すべきかと考えた時にまさに大学が市民社会と、政府と市場経済という三つがディシジョンメイキングの鍵を握っている。コネクターとして大学の果す役割があるか。そうではなく多賀先生が言うように市民社会の代表としての大学なのかも含めて、アジアのコンテクストでどのようなビジョンをえがけるかキム先生、李先生に伺いたい。

天児:

 最後の質問者とします。どうぞ。

質問者:

 主婦です。庶民の立場で聞いて勉強になった。ここにきた理由はたった一つ聞きたいことがあった。人間の保障という生命を守るという点で日本のスタンスとして大事な状況にあると思う。それは憲法改正問題だ。9条の問題だ。殺しも殺されもしない点で9条との絡みがでると思っていたが誰からも出なかったので伺いたい。どなたでも結構だが、日本のこれからのあり方として9条をどう考えるか伺いたい。東アジアネットワークを作るのは大事なことだ。EUのような政治、経済プラスNATOの軍事安全保障を備えたものを作り上げるのか、NATOのようなものが出来れば憲法問題に大きく係わってくるがどう思うか伺いたい。

天児:

 ありがとうございます。大きな、答えにくい、且つ重たい問題だ。最初に孫歌先生に質問があった竹内好の理論を踏まえた歴史感覚からお願いします。

孫歌:

 重大な問題を提起してくれた。歴史感覚を重視する理由の一つは政治性についての理解に基付いている。経済の角度から人間を考える場合、経済人というすっきりした発想で考えられる。社会の動き方の最もコアの部分をこういう形で捕まえる。歴史的に考えれば歴史は経済的な動き方を取っているわけではない。経済から考えれば不利益を避けようとする。理屈に合わないことは経済人にはありえない。政治の角度から考えれば、政治ほど無駄な側面はないともいえる。政治的に不利益なことをやっている。戦争は最も大きな不利益だ。どうしてそうなるか。おそらく人間性とつながっている。政治思想史の扱っている対象は論理で分析しきれない。常に変わっている人間性そのものだ。その中で知識人の役割も出てくる。多賀先生が言った現場に行って情報を正確につかもうという提案は大事だが、付け加えればどうやって情報を正確につかむかだ。わかりやすい情報もあればそうでない情報もある。一例をあげれば、中国の社会学者のフィールドワークの中でこういう結果がでた。いくつかの人間階層をアンケートで調べたところ幸福感の一番高いのは一番貧しい農民だそうだ。このデータを読み取るためにはいくつかの手続きが必要だ。残念ながらデータの読まれ方が単純で、今の農民の生活は改善されたので幸福感が高いと。それは嘘だとみんな言う。ではフィールド調査の結果は偽りかというとそうではない。農民の生活に対する期待とそれをどれだけ満たされるかは相対的なことだ。一方金持ちは幸福感は一番低い。彼らは常に危ないことを感じる。自分は最も不安定な人種だと毎日恐れて生活している。正確につかむ基準は何か。ここで歴史感覚という問題がでてくる。私たちの重要な役割の一つは色々な歴史状況に置かれている違う人間の感覚を造形するところにある。言葉に頼りながら言葉に頼らないという一種のパラドックスだ。言葉には常に限度がある。背後に感覚がある。うまく造形することは次々と要望に応じてやっていくのが我々の仕事だ。

 共同体のあり方の質問にコメントする。東アジア共同体はどうしたら出来るか、ただ夢で実現できないかは重要な問題提起だ。一例をあげる。日中友好運動は50年代からずっとやってきた。日本の良心的な人たちは一生懸命頑張った。日中間の友好問題はこの願望によって解決したかといえば残念ながらそうは言えない。背後にある大きな力があるからだ。午前中の温鉄軍先生の分析された経済、資本、グローバリゼイションの力、国際関係の力と歴史感覚のすれ違い。そのずれ自体は造形されていない部分はかなりある。この部分は我々に出来る部分だ。知識人に出来ることと出来ないことがある。資本を批判しても資本を変えることは出来ない。国際政治にもそういえる。多賀さんが提起された正しく情報を把握することは努力すれば出来る。共同体作りの基盤になる部分だ。

天児:

 ありがとうございます。黒田先生の質問に先ず、キム先生、次に李先生にお願いします。

キムベン:

 参加者の一人が東アジア共同体は可能かと質問されたが、不可能であっても可能にしなければならない。政治的な必然性で紛争などが北東アジアである。これを逆に利用することだ。中国と日本に間で常に摩擦が起きる。ここに韓国と北朝鮮を入れるともっと摩擦が大きくなる。大切なのはモメンタムを維持することだ。可能かどうかが問題ではなく、どう一緒にやって確立を高めるかだ。もう一つ出てきたのは東アジア共同体を統合化するためのアイデアは何か。摩擦をなくすことが目標の一つだ。地域多様性を余り問題視する必要はない。人間として共存するために公的私的な場を求めている。共通のゴールとして集団的な連帯を求め、国民国家よりも大きな、個人のアイデンティティを越えるものを実現する。それによって究極的に我々をまとめるような、団結させるようなプラットホームを作ることだ。東洋の考え方として天の教え、掟ののもとに平和に生きるということだ。何故アジアの大学は欧米の大学よりも著名度で落ちるか語られたことがある。ハーバード、ケンブリッジ、オックスフォード並みの大学がなぜないかと。学生から言われたが、私の答えはアジアの大学はもともと国家建設に密接に関連していた。アナーキーな国際社会の中で大学が国作りに貢献することは悪いことでない。残念なことに国民国家は政治的な生き物で、エリートの利益に捉えられてしまう。独立して20年30年と経つと権力を維持するための機構が必要になる。システムが国民のためよりも自己保身のための機構になる。

 国の機構といかに一線をかくするかという意図的な選択をしなければならない。学長であれ教授陣であれ学生組合であれそろそろ独立したいのだといわなくてはならない。大学人はそれまでいい関係を享受してきたがこれからは独立の道を進むといわなければならない。

李:

 短く答える。先ほど現場がない知識人のことを話したが、東アジア共同体を作るのは非常に難しく、何十年もかかる。平和国家とか市民国家とか国家の変化がないと共同体作りは難しい。国家がどう変わるかを考えると、現場がない知識人と同じく、ローカル、村、町がない国家はありえない。国家を作るには町を作ることが大事だ。最近トランスナショナルシビルソサイアティという言葉を良く使うがトランスナショナルローカルも結構使われる。もうローカルが平和的な考え方で東アジアを作ることの重要な場所になった。東アジアを作るための発想を話したかった。もう一つ、憲法9条の問題も話したが、この場合アジアはアジアコミュニティではなく天児先生の提案は東アジアヒューマンコミュニティだと思った。ヒューマンということで人間の顔が見える。人間も自然の、社会の一部だと考えるべきだ。憲法9条から考えると、アジアの持っている資源は何かを考えるべき。強い国を作るには石油やいい労働者が必要だが、アジアヒューマンコミュニティ作りに必要な資源は何かを定義する必要がある。日本の憲法9条は歴史的な話は別にして、アジアの宝だ。9条の発想は誰がどんな意図で作ったかも重要だが、今これがどんな意味をもって、どう生かすかが必要だ。9条はアジアヒューマンコミュニティを作るために必要な資源基地だ。

 最後に大学の位置付け。アジアが非対称的な国々で脈絡も違うし、歴史も違うし、人口も違うし、民主化の程度も違うし、経済発展も違うが、大学の役割も国によって全然違う。黒田先生が言うように大学の役割は違う。多賀先生のいうのは全日市民になる可能性があるという意味で大学は頑張ろうという提案だと思う。大学の先生はどんどんクライアント知識人になっていく傾向がある。そこに気付いて我々は何かをやるべきだ。多賀先生が言ったことについて少し話したい。主婦たちが全日市民で、男は週末市民とか、週末でも市民になりたくない男がたくさんいる。さだまさしの「関白宣言」が1970年代末に出て、男は関白で、市民にならなくともいいと宣言したが、実は背景は関白の資格がないから宣言したのだ。90年代半ばになると彼の作った歌が「関白失脚」。近代国家だが関白時代と余り変わらない男の役割や市民の役割を変えないと国家は変えられない。変えるべきだということは歌が既に表現している。大学の役割を生かしてゆく必要があるという提案と受け止めればいい。

天児:

 ありがとうございます。多賀さんにもゴメスさんにも聞きたいが時間が既に15分オーバーしている。申し訳ない。これでファイナルにしたいが、最後に憲法9条の問題がでたので、私個人の意見を一言。アジア共同体の構想は経済のレベルと行くとファンクショナリズムで生まれている。安全保障のレベルで言えば国益を中心とした戦略的アプローチだ。我々が目指すのはボトムアップアプローチだ。現実にはこの三つがミックスしている。ミックスしながら進まざるを得ない。ハードな安全保障の部分は新しい枠組みを模索する。その中に憲法改正の議論が位置付けられている。その時に日本の憲法の精神を国民一人一人が捉え直す必要がある。憲法の精神は尊い。精神を変えることと憲法の字句を変えることはイコールにしなくていい。かつて華国鋒が毛沢東思想は一字一句変えないことが毛思想を守ることだと言ったが、私は憲法の一字一句変えないということに固執する必要はない。が、憲法の精神は李さんが言ったとおりアジアの財産であるくらい尊いと思っている。そこを踏まえてより良いアジアの社会をどう作るかが我々に課せられた課題だ。

閉会の挨拶
毛里和子

 昨日から二日間の熱心な議論、外国から来て下さいましたパネラーの皆さん、そして会場の皆さんに御礼申し上げます。私は今ご紹介のあった21世紀COE現代アジア学創生の拠点リーダーを務めます毛里です。21世紀COEのプロジェクトから申しますと、これは最後の国際シンポジウムになります。本日皆さんのご協力によって成功裡におえたことは大変喜ばしい。私自身は昨日、今日の午前中用事があって出席できませんでした。午後のセッションだけを伺ってその上で、私の考えたことも含めてお話し、最後の閉会の辞に変えたいと思います。

 一言最初にお断りしておきますが、本日最後に出てきました多賀テーゼ、つまり研究者は現場に行けという研究者は市民であるという議論について私は基本的には反対を表明したい。私自身大学人は研究者、あくまで研究で勝負する。これが世の中での価値だという風に生きてきたし、これからも生きてゆきたいので、そういう意味で本日のシンポジウムについてもいささか辛いコメントになるかもしれない。お許しください。半日しか聞いていないのにけしからんとおっしゃる人もいると思う。特に多賀さんは午前中の僕の報告を聞いてくれないでしょうという異論があると思うが、今後の議論のために少しお話しておきたい。

 先ず現代アジア学について最小限のことをお話しておくと、現代アジア学を何故やるかというと、アジアがアジア化しているという状況は本日の議論を聞いても分かる。これだけ多くのアジアの研究者が共通の言葉で話そうではないかというサークルが出来つつある。ヒューマンネットワークを作ろうとしていること自体がアジア化の象徴だ。そういう中で現代アジアとは何だろうと、ヨーロッパとはどう違うか、何故ヨーロッパから発した社会科学では現代アジアは切れないのかを徹底的に挑戦しようということだ。もう一つは東アジアを中心としたリージョナルゼイションが起こっている中で、東アジアの来るべき未来の秩序は如何にあるだろうか。そして如何にあるべきだろうか。これまで4年間喧喧諤諤と議論してきた。いろいろなことあるが省略して、東アジアの共同体をデザインする場合の三つのコンセプト、国家、国民というより人々の共同体があるはずというコンセプトが一つ。もう一つは単機能ではない多機能なファンクショナルなコミュニティにして行く努力が必要だ。もう一つは知識人の役割も含めて地域公共財という概念をアジアの人々が共有することだ。何が地域公共財なのか。石油がそうなのか。マラッカ海峡の安全がそうなのか。アジアに住む人々の平和と安全がそうなのか。この三つをコンセプトにしている。本日の議論を伺った限りで、二つ考えた。一つは人間の安全保障。午後のセッションの第一テーマがそれだった。第二セッションが知識人の役割。私は人間の安全保障という言葉にいつも疑問を持ってきた。どういう意味かというと、人間とは何なのかということ。何故人間というのか。昨日の議論でもおそらく人間とはネイションステートではないと言うようなことを含意している。あるいはボーダレスということを含意している。あるいはヒューマン、人類ということを含意している。そういう意味で人間を使うのか。人間でないのは非人間、すなわち動物だ植物だということから考えると、人間の安全保障とは何を意味しているのか。人間とはなんぞやがいつも明らかになっていない。国家とか、企業とかあるいは個別的集団ではない一般なのか、あるいは人間一人一人なのか。こういう問題の厳密な議論が必要だ。人間の安全保障という時の人間の中にはより多くの断面がある。そこらを区分けした議論が研究者としては必要だ。もう一つはセキュリティという概念だ。非伝統的安全保障とか人間の安全保障とかにセキュリティという言葉が使われる。私の理解ではセキュリティというのは国家を前提としているのが今までの概念だ。それが拡大して個人個人のセキュリティまで普通の議論をするようになった。私はこれらすべてをセキュリタリゼイションとするのはある意味危険ではないかと感じる。なぜかというと、国家の係わる領域が非常に拡大する。例えば、東南アジアの安全を非伝統的安全ということで海賊の問題が良く議論される。確かにこれは非伝統的脅威だ。脅威と認識した時点で国家の武力が出てくることになりかねない。SARSもそうだし、セキュリティを保障するのは一体誰なのか。何なのか。誰のセキュリティなのか、何のセキュリティなのか。これを解剖することが大事だ。私は冷戦期の世代なので冷戦的思考、孫歌さんの言葉でいえば冷戦的恣意にとらわれている人間として、敢えて冷戦期に戻れと申上げたい点がある。どういうことかというと、例えば、安全を損なうものは何かという時に、政府が国家がやるべきことではなはないか。それをやっていないのではないか。あるいはあやまってやり過ぎているのではないかと疑問を立てて青年期を過ごしてきた。例えば、イラクで亡くなった日本人の若い人がいた。冒険的で、無思慮な日本人が行方不明になりイスラムのテロリストに捕まって処刑された時に、日本はどのように反応したかというと、これは自己責任だという言い方をした。私はこれこそ国家の責任で保証すべきだ。国家の責任で青年の安全は保障されるべきだと感じた。冷戦期はすべてが悪かったわけではない。国家はいかなるものかということを真剣に議論した。例えば、李起豪さんは国家を変えることなしにはアジアにおけるヒューマンコミュニティは難しいと言ったが、現実はその通りだ。人間の安全保障という時に「何が」「誰が」の安全であり、「何が」「誰が」保障するのかをはっきり分けた考え方が必要だ。

 最後にアジアにおける知識人の役割についての問題だが、私自身は参加するという意味での研究者の役割は余り感じないが、今日のような若い人々の議論を伺っていると、共通な言葉を持つこと、李さんは「共同の記憶」といった。不幸にしてアジアの人々には誇れる資産としての共同の記憶がないと。我々知識人として共同の記憶を作り出す努力をして行く、そのためにこういうネットワークが貢献することになる。また次回に期待したい。
大変永い間ありがとうございました。

天児:

 ありがとうございます。またしても締めくくりで挑発的な挨拶になりました。もう一日シンポジウムをやらなければいけないというような大問題を提起されたと思う。この議論が昨日からされていない訳ではない。明確な解答が出たわけではないが、問題の本質として先ほど毛里代表から出されたことはもう一度かみ締めてみる必要があるという印象を持った。意味のあるシンポジウムが出来たと主催者として感じながら、終わらせていただきます。ありがとうございました。

(終了)

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